太宰治
太宰治
太宰治「女の決闘」昭和23年7月20日初版 C135
3,800円
太宰治は昭和23年(1948年)6月13日に山崎富栄と玉川上水に入水自殺しました。その翌月にこの短編集が新潮社から発行されました。
「女生徒」「富嶽百景」「満願」「駆込み訴へ」「走れメロス」「ダス・ゲマイネ」の6編 この中の一編「走れメロス」は昭和30年代の中学校国語教科書に掲載されていました。
太宰治「女の決闘」昭和23年7月20日初版 C104
3,000円売切れ
太宰治は昭和23年(1948年)6月13日に山崎富栄と玉川上水に入水自殺しました。その翌月にこの短編集が新潮社から発行されました。
「女生徒」「富嶽百景」「満願」「駆込み訴へ」「走れメロス」「ダス・ゲマイネ」の6編 どれも私は大好きです。
太宰治「晩年」昭和23年7月 新潮社版初版 C121
3,100円
紙も貴重だった戦後間もない昭和21年7月に発行されました。文学、読書への庶民の渇望と太宰の人気が伺われます。
太宰治「東京八景」昭和16年初版 装丁小磯 良平 C120
9,800円 売切れ
昭和16年5月3日発行 實業之日本社
表紙は小磯良平の「セイヨウアマナ(ハナニラ)」の絵
太宰治「八十八夜」昭和21年3月1日初版
3,100円売切れ
紙も貴重だった戦後間もない昭和21年3月に35,000部が発行されました。文学、読書への庶民の渇望と太宰の人気が伺われます。
太宰治 新潮日本文学アルバム C103
680円
太宰の生い立ちや生涯がアルバムとしてまとめられています。
太宰の両親や兄弟、友人と田辺あつみ、小山初代、美知子夫人、太田静子、山崎豊栄ら関係者の写真の他、直筆原稿や書簡などたくさんの写真が掲載されています。
太宰治研究に欠かせない1冊
「世界」太宰治『桜桃』掲載 昭和23年5月
8,100円
昭和23年(1948)5月第29號。『桜桃』初出誌 太宰39歳。
(単行本は昭和23年7月25日に實業之日本社から発行)
この月刊誌の発行から間もない6月19日、太宰は入水自殺しました。6月19日は「桜桃忌」と名付けられ太宰を偲ぶ日となっています。
文藝春秋「太宰治のこと」井伏鱒二 昭和23年8月号
¥8,500.
太宰が入水自殺した後、師 井伏鱒二の寄稿です。
太宰が愛人の山崎富栄と玉川上水(現・三鷹市)の急流に入水心中した日は、昭和23年6月13日 でした。
遺体が発見されたのは6月19日、奇しくも太宰の39歳の誕生日でした。
太宰治「如是我聞」初版C08 初版復刻版C09
各2,800円
初版C08:新紀元社 昭和23(1946)年11月10日発行←売切れ
復刻版C09 平成4(1992)年6月19日 日本近代文学館発行
太宰治「薄明」初版C06 初版復刻版C07
1,500円初版復刻版C07
初版(右)C06 3,500円:新紀元社 昭和21(1946)年11月20日発行←売切れ
復刻版(左):平成4(1992)年6月19日 日本近代文学館発行
「薄明」など8編の短編集
太宰治「冬の花火」初版C04 初版復刻版C05
各4,500円
初版:中央公論社 昭和22(1947)年7月5日発行←売切れ
復刻版:平成4(1992)年6月19日 日本近代文学館発行
昭和21(1946)年、太宰は疎開していた津軽の生家でこの戯曲「冬の花火」を書き上げました。
太宰治の代表作「斜陽」と「人間失格」
左「斜陽」初版¥4,000.
中央「人間失格」再販¥2,500./右「人間失格」初版¥6,800.
3冊とも売切れです
「碧雲荘」が由布院へ移築されます
『ゆふいん文学の森』への移築工事が進んでいます。(2017.2.6)
東京荻窪の「碧雲(へきうん)荘」
太宰治ゆかりの「碧雲(へきうん)荘」が大分県由布市の由布院温泉に移築されることになりました。太宰ファンの一人としてとてもうれしいです。2016.2.17読売新聞
碧雲(へきうん)荘」に行ってきました。(2015年10月)
詳しくはこちら ⇒ 荻窪の「碧雲(へきうん)荘」
第153回芥川賞に又吉直樹(またよし なおき)さんの「火花」
第153回芥川賞に、お笑い芸人の候補として注目を集めた又吉直樹さんの「火花」が選ばれました。
又吉直樹さんはテレビなどで太宰が好きだと公言しています。
太宰治「晩年」「女の決闘」「斜陽」
昭和23年7月発行初版 新潮社版
初期、中期、後期の傑作
左:「晩年」¥2,000. 中央:「女の決闘」¥2,800. 右:「斜陽」¥3,000.
売切れ
戦後の昭和21(1946)年から太宰が入水自殺する昭和23年までの発行作品です。
終戦となり活字に飢えた人にこたえて書く作家、そして紙と技術を提供した印刷所。
紙質も良くなく印刷技術もまだ十分に発達していない時代に出版されたものです。
太宰の作品は、当時の読者だけでなく、その後も多くの人に読み継がれています。
太宰を読むのは、かつて誰もがはしかにかかったように、一度は通らなければならない読書の通り道だったのではないでしょうか。
私は多感の時代に太宰を読み太宰に夢中になりました。自分の気持ちを代弁してくれている、そうだその通りだと心酔していました。あの少年時代の心の高ぶりをもう一度と思いますが・・・
「櫻桃」初版
¥7,000.売切れ
昭和23年7月25日発行 實業之日本社
太宰を偲ぶ日(毎年6月19日)は「桜桃忌」と名付けられています。
昭和23年 1月の上旬に太宰は喀血します。3月から山﨑富栄に付き添われ、栄養剤を注射しながら5月にかけて「人間失格」を執筆しました。
一方、「如是我聞」で志賀直哉ら文壇批判をします。疲労はなはだしく、不眠症もつのり、しばしば喀血します。
そして、6月13日深更、「グッド・バイ」の草稿、遺書数通などを残し、 富栄と共に玉川上水に入水しました。39歳でした。
山﨑富栄
「晩年」初版
昭和23年7月30日発行 新潮社版 ¥3,000.
売切れ
撰(えら)ばれてあることの
恍惚(こうこつ)と不安と
二つわれにあり
ヴェルレエヌ
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目(しまめ)が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。 ・・・・
(第1編「葉」の冒頭です)
太宰治略歴
(1909-1948)青森県金木村(現・五所川原市金木町)生れ。本名は津島修治。東大仏文科中退。
在学中、非合法運動に関係するが、脱落。酒場の女性と鎌倉の小動崎で心中をはかり、ひとり助かる。1935(昭和10)年、「逆行」が、第1回芥川賞の次席となり、翌年、第一創作集『晩年』を刊行。この頃、パビナール中毒に悩む。1939年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚、平静をえて「富嶽百景」など多くの佳作を書く。
戦後、『斜陽』などで流行作家となるが、『人間失格』を残し山崎富栄と玉川上水で入水自殺。
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