太宰治「晩年」「女の決闘」「斜陽」

太宰治「晩年」「女の決闘」「斜陽」

dazai 111 売切れ
 左:「晩年」¥2,000. 中央:「女の決闘」¥2,800. 右:「斜陽」¥3,000.
   初期、中期、後期の傑作

きのう(2015.7.17)発表された第153回芥川賞に、お笑い芸人の候補として注目を集めた又吉直樹さんの「火花」が選ばれました。

又吉直樹さんはテレビなどで太宰が好きだと公言しています。

3冊ともに昭和23年7月発行初版 新潮社版
太宰が愛人の山崎富栄と玉川上水の急流に入水心中した日は、昭和23年6月13日。その翌月に発行されました。
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それぞれに上の写真の広告が掲載されそこには次のように記載されています。

晩年 
太宰治が世に問うた最初の作品である。
その彗術性、近代性は全太宰文學を豫定するもので、愛好家研究家の必読書であらう。
 價百七十圓 七月下旬刊

女の決闘
中期七つの名編に書かれてゐるものは、潔癖な倫理の問題、近代的知性、強烈な感受性のための苦難の刻印である。
 價百二十圓 七月中旬刊

斜陽
美と戀のために滅びゆく四人の運命の物語。
全編にみなぎる詩情とニュアンスは太宰最高傑作の名に値するであらう。
 價百二十圓

 強いヤケ、キズなどがあります。


太宰治 初期作品 「晩年」

太宰治 初期作品 「晩年」1 
¥2,000.

太宰治 初期作品 「晩年」2

太宰治 初期作品 「晩年」3

太宰治 初期作品 「晩年」4 太宰治 初期作品 「晩年」5
撰(えら)ばれてあることの
  恍惚(こうこつ)と不安と
  二つわれにあり
         ヴェルレエヌ
 死のうと思ってゐた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目(しまめ)が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。 ・・・・ 
(第1編「葉」の冒頭です)

太宰治 初期作品 「晩年」6 太宰治 初期作品 「晩年」7

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太宰治 中期作品 「女の決闘」

太宰治 中期作品 「女の決闘」1 ¥2,800.

太宰治 中期作品 「女の決闘」2 太宰治 中期作品 「女の決闘」3
「女の決闘」の他、「女生徒」'「富嶽百景」'「走れメロス」など7つの作品が納められています。

私の太宰治遍歴は、「走れメロス」から始まり、「女生徒」「人間失格」「斜陽」・・・「津軽」と続きました。

太宰治 中期作品 「女の決闘」4
「女生徒」の冒頭です
あさ、眼をさますときの気持は、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっと襖(ふすま)をあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとやりきれない。箱をあけると、その中に、また小さい箱があって、その小さい箱をあけると、またその中に、もっと小さい箱があって、そいつをあけると、また、また、小さい箱があって、その小さい箱をあけると、また箱があって、そうして、七つも、八つも、あけていって、とうとうおしまいに、さいころくらいの小さい箱が出て来て、そいつをそっとあけてみて、何もない、からっぽ、あの感じ、少し近い。パチッと眼がさめるなんて、あれは嘘だ。濁って濁って、そのうちに、だんだん澱粉(でんぷん)が下に沈み、少しずつ上澄(うわずみ)が出来て、やっと疲れて眼がさめる。朝は、なんだか、しらじらしい。悲しいことが、たくさんたくさん胸に浮かんで、やりきれない。いやだ。いやだ。朝の私は一ばん醜(みにく)い。両方の脚が、くたくたに疲れて、そうして、もう、何もしたくない。熟睡していないせいかしら。朝は健康だなんて、あれは嘘。朝は灰色。いつもいつも同じ。一ばん虚無だ。朝の寝床の中で、私はいつも厭世的だ。いやになる。いろいろ醜い後悔ばっかり、いちどに、どっとかたまって胸をふさぎ、身悶(みもだ)えしちゃう。
 朝は、意地悪(いじわる)。

太宰治 中期作品 「女の決闘」5

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太宰治 後期作品 「斜陽」

太宰治 後期作品 「斜陽」1

太宰治 後期作品 「斜陽」2

太宰治 後期作品 「斜陽」3

太宰治 後期作品 「斜陽」4

太宰治 後期作品 「斜陽」5

太宰治 後期作品 「斜陽」6 
朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
 と幽(かす)かな叫び声をお挙げになった。
「髪の毛?」
 スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。
「いいえ」
 お母さまは、何事も無かったように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流し込み、・・・・・

◇「斜陽」は、『新潮』に1947年7月から10月に連載された太宰治の代表作です。

太宰が当時交際していた太田静子の娘・太田治子は、母の日記がほとんどそのまま書き写されたものであると述べています。
没落していく上流階級の人々を指す「斜陽族」という言葉が生まれました。

太宰治の生家である記念館は、この小説の名をとり「斜陽館」と名付けられました。
記念館は、青森県五所川原市(旧北津軽郡金木町)にあります。

◇太田静子とは、
「斜陽」の主人公「かず子」のモデルです。
入水の前年、妻子持ちの太宰は、文学を志す太田静子との間に生まれた娘に、「治」の一字を付けて認知しました。太田治子です。

静子は炊事婦や寮母などで働きづめで生計を立て、兄弟の支援も得て治子を育てました。そして治子も作家となりました。

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