人間国宝・島岡達三
人間国宝・島岡達三
人間国宝島岡達三 象嵌赤繪夫婦湯吞 D12
¥32,800.(共箱)
人間国宝島岡達三晩年の作品。人間国宝認定の技法の象嵌文様の中に、2客それぞれの両側面に赤繪が描かれています。
人間国宝島岡達三 地釉象嵌草花文壷 D11
¥68,000.(共箱)
高さ31cmの大型の壷です。
益子焼の基本的な釉薬(ゆうやく)の一つである「柿釉」と呼ばれる赤茶色の地釉をベースに、人間国宝認定の技法である縄文文様が施されており、胴の両面に草花文が描かれ、地釉の糠白(ぬかじろ)がかぶさっています。素朴で温かみのある益子焼の柔らかい質感が活かされています。人間国宝の技法と感性が凝縮された作品です。
人間国宝島岡達三初期作品「水滴」 D10
9,800円
島岡達三が人間国宝の師濱田庄司から独立し、益子に窯を構えて間もなくの頃の作品です。やがて師と同様に人間国宝に認定される予感のする感性が感じられます。やわらかい益子焼の質感に糠白、柿、灰釉の益子の釉薬が活かされています。描かれている十文字紋は後にも絵皿などに数多く描かれました。
島岡達三 象嵌夫婦湯呑 D09
37,800円
人間国宝認定の技法「象嵌」に描かれている文様は竹文です。⇒詳しくはこちら
一目で島岡達三とわかる作品です。
島岡達三 縄文角皿 柿釉 D08
島岡達三 象嵌赤繪ぐい呑 D07
26,500円(共箱)
高さ4.5 口径6.3センチ 傷はありません
島岡達三 象嵌湯呑 A64
島岡達三 象嵌夫婦湯呑 A63
島岡達三 夫婦湯呑 A62
島岡達三 地釉象嵌縄文偏壺(へんこ)M
島岡達三 象嵌壺D/地釉刷毛目偏壺F
共箱
島岡達三 象嵌壺D(左)¥115,000.
地釉刷毛目偏壺F(右)¥55,000.
島岡達三 白釉象嵌縄文角皿K/象嵌角皿L
共箱
島岡達三 白釉象嵌縄文角皿K(左)¥42,000.
象嵌角皿L(右)¥43,000. Lは売り切れ
島岡達三 地釉縄文象嵌酒器(徳利とぐい呑)
島岡達三 白掛湯呑
塩釉筆筒
地釉象嵌縄文皿
¥87,000.売切れ
径31cmの大皿です。
彫絵草花文灰皿
象嵌皿 5枚
45,000円(5枚)
陶印(タ)はありません。 径約16㎝
縄文象眼(じょうもんぞうがん)で島岡達三は、1996年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。
益子の土と釉薬(ゆうやく)を用い、組みひもを器面に転がして跡を付け、そこに化粧土を埋め込む独自の縄文象眼(じょうもんぞうがん)技法を確立したのです。
島岡達三は、東京の組みひも師の家に生まれました。
柳宗悦が創設した日本民芸館で陶芸に魅せられ、東京工業大学で窯業を学び、陶芸家の濱田庄司(人間国宝)に師事。1953年に益子に窯を築きました
象嵌夫婦湯呑
売切れ
¥46,000 大:口径9㎝ 高さ8.6㎝ 小:口径7.9㎝ 高さ7.8㎝
島岡達三 しまおか たつぞう
組みひもをころがした器面の押しあとに化粧土をうめる縄文象眼(じょうもんぞうがん)技法を確立し,平成8年人間国宝。
1919年(大正8年)東京生まれ。父は、組紐師島岡米吉。東京工業大学で窯業を学ぶ。
復員の後、家族とともに益子に移り住み、民芸の父と呼ばれる濱田庄司のもとで
作陶を学び、1953年築窯。縄文時代との運命的な出会いが有り、試行錯誤
1996年(平成8)民芸陶器(縄文象嵌)で国指定の重要無形文化財保持者(人間国宝)
認定。
2007年(平成19) 12月11日没・享年88歳。
⇒ 島岡達三詳細略歴
上皇陛下と益子焼
上皇陛下が、生前退位への考えを強く示唆する「お気持ち」を表明したビデオメッセージの映像がテレビで放映されました。(2016年8月8日)
その映像の、陛下の後ろに映っていた大皿は間違いなく島岡先生の作品です。
ビデオメッセージを収録したのは御所の応接室だそうですが、大皿などは普段からこの部屋に置かれているものだそうです。
島岡先生が生み出した縄文象嵌(じょうもんぞうがん)の皿で、中央は柿釉(かきゆう)です。陛下は、島岡先生の師匠の濱田庄司先生の元を訪問されたことがあります。
■天皇陛下と益子焼、知られざるエピソード
益子町には、陛下ゆかりの場所「平成館」があります。
元々は日光市に建っていた「南間(なんま)ホテル」を移築したもので、
太平洋戦争終結を伝える昭和天皇の「玉音放送」を、皇太子だった上皇陛下がお聞きになった部屋です。
1996年に上皇陛下ご夫妻は益子焼などの地方産業視察のために益子町を訪れ、この部屋で昼食を召し上がりました。
上皇陛下は疎開当時を非常に懐かしがったといいます。
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ましこやき(益子焼)
栃木県芳賀郡益子町周辺を産地とする陶器。江戸時代末期、嘉永年間に常陸国笠間藩(現笠間市)で修行した大塚啓三郎が益子に窯を築いたことにより始まったとされています。
当初は水がめ・火鉢・壺などの日用品が主でしたが、1927年より創作活動を開始した濱田庄司(後に人間国宝)によって花器・茶器などの民芸品が作られるようになり、日本全国に知られることとなりました。
濱田庄司に作陶を学んだ島岡達三も人間国宝に認定されました。重厚な色合いと軟らかい質感が特長です。
1979年、通商産業省(現経済産業省)に、伝統的工芸品に指定されました。
毎年、春のゴールデンウイークと秋の11月3日前後に益子陶器市が開催され500を越える店舗が出て賑わいます。
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