太宰治 新潮日本文学アルバム C103
太宰治 新潮日本文学アルバム C103

680円
送料198円
(クリックポスト)
太宰の生い立ちや生涯がアルバムとしてまとめられています。
太宰の両親や兄弟、友人と田辺あつみ、小山初代、美知子夫人、太田静子、山崎豊栄ら関係者の写真の他、直筆原稿や書簡などたくさんの写真が掲載されています。
増刷版です。1983.9.20初版 その後増刷

帯付き 目立つ汚れはありません。
「斜陽」の手書き原稿

太宰治の高校時代の英作文
太宰の乳母だった越野タケ
「津軽」より(抜粋)
乳母のタケと再会した時のことが書かれています。私の大好きなシーンです。小学校の運動会を見に行き再会しました。
私の母は病身だつたので、私は母の乳は一滴も飲まず、生れるとすぐ乳母に抱かれ、三つになつてふらふら立つて歩けるやうになつた頃、乳母にわかれて、その乳母の代りに子守としてやとはれたのが、たけである。私は夜は叔母に抱かれて寝たが、その他はいつも、たけと一緒に暮したのである。三つから八つまで、私はたけに教育された。さうして、或る朝、ふと眼をさまして、たけを呼んだが、たけは来ない。はつと思つた。何か、直感で察したのだ。私は大声挙げて泣いた。たけゐない、たけゐない、と断腸の思ひで泣いて、それから、二、三日、私はしやくり上げてばかりゐた。いまでも、その折の苦しさを、忘れてはゐない。それから、一年ほど経つて、ひよつくりたけと逢つたが、たけは、へんによそよそしくしてゐるので、私にはひどく怨めしかつた。それつきり、たけと逢つてゐない。
タケが太宰の家へ奉公に来て、三歳の太宰をおぶつたのは十四の時でした。
-中略-
私も、いつまでも黙つてゐたら、しばらく経つてたけは、まつすぐ運動会を見ながら、肩に波を打たせて深い長い溜息をもらした。たけも平気ではないのだな、と私にはその時はじめてわかつた。でも、やはり黙つてゐた。
たけは、ふと気がついたやうにして、
「何か、たべないか。」と私に言つた。
「要らない。」と答へた。本当に、何もたべたくなかつた。
「餅があるよ。」たけは、小屋の隅に片づけられてある重箱に手をかけた。
「いいんだ。食ひたくないんだ。」
たけは軽く首肯いてそれ以上すすめようともせず、
「餅のはうでないんだものな。」と小声で言つて微笑んだ。三十年ちかく互ひに消息が無くても、私の酒飲みをちやんと察してゐるやうである。
a:786 t:1 y:0
A-8 201018