「世界」太宰治『桜桃』掲載 昭和23年5月
「世界」太宰治『桜桃』掲載 昭和23年5月
8,100円
昭和23年(1948)5月第29號。
全64頁 定價20圓
昭和23年(1948)5月第29號。『桜桃』初出誌 太宰39歳。
(単行本は昭和23年7月25日に實業之日本社から発行)
この月刊誌の発行から間もない6月19日、太宰は入水自殺しました。6月19日は「桜桃忌」と名付けられ太宰を偲ぶ日となっています。
発行から70年余になります。強いヤケや汚れ小キズ、テープ跡があります。
A5サイズ(148×210ミリ:現在の月刊文芸春秋と同じ)
川島という小さい書印が押されています。
「桜桃」の最初のページです。
われ、山にむかいて、目を挙ぐ。
――詩篇、第百二十一。
子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。少くとも、私の家庭においては、そうである。まさか、自分が老人になってから、子供に助けられ、世話になろうなどという図々しい虫むしのよい下心は、まったく持ち合わせてはいないけれども、この親は、その家庭において、常に子供たちのご機嫌きげんばかり伺っている。子供、といっても、私のところの子供たちは、皆まだひどく幼い。長女は七歳、長男は四歳、次女は一歳である。それでも、既にそれぞれ、両親を圧倒し掛けている。父と母は、さながら子供たちの下男下女の趣きを呈しているのである。
家事や育児ができず、子供の問題に正面から向き合えずに浮気に走った、太宰本人の影響が色濃く出ている作品です。
定價20圓 全764頁です。物資の乏しい終戦後間もない昭和23年に発行されました。小さい活字で印刷されています。
カットは曽宮一念(そみや いちねん、1893年9月9日 - 1994年12月21日)。日展の審査員でした。のちに両眼失明のため画家を廃業しました。その後は文筆家として活躍しました。
紙面広告などに時代背景や戦後間もない時代の息吹が感じられます。
「桜桃忌」おうとうき
太宰治の命日である6月19日は、「桜桃忌」です。
太宰の死の直前のこの名作にちなみ今官一によって名づけられました。
今官一は、太宰と同郷の津軽出身の作家です。
6月の北国に実る鮮やかな紅色の宝石のような桜桃(おうとう:さくらんぼ)が、鮮烈な太宰の生涯と珠玉の短編作家というイメージに最もふさわしいと、友人たちの圧倒的な支持を得たと言われています。
墓所のある禅林寺(三鷹市下連雀)にはいまも毎年多くの太宰ファンが参拝に訪れます。
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NO.0054 B132 201013