映画 「男はつらいよ」第1作ポスター
映画 「男はつらいよ」第1作ポスター
1969(昭和44)年8月27日公開
「男はつらいよシリーズ」の第1作目
ロケ地、京都、奈良。
¥4,500.(ゆうパック送料無料)
マドンナを演じた女優は光本幸子(御前様の娘・冬子役)でした。
折しわがあります。ピン跡はありません。
サイズB2(51.5 × 72.8cm)
アルミフレームのパネルに納めて保管しています。
パネルは付きません。
折跡があります。
⇒ 寅さん絵入りはがきセット【全48作品】NO.3
⇒ 寅さんトランク A255
■渥美清
1996年(平成8年)8月4日、転移性肺癌のため東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で68才でこの世を去りました。
「俺のやせ細った死に顔を他人に見せたくない。骨にしてから世間に知らせてほしい」という渥美の遺言により、家族だけで密葬が行われ、遺体は東京都荒川区内の町屋斎場で荼毘に付されました。
訃報は3日後の1996年8月7日に松竹から公表されました。
死後、日本政府から渥美に国民栄誉賞が贈られました。
俳優では、1984年に死去した長谷川一夫に次いで2人目の受賞でした。
「渥美清=寅さん」のイメージを壊さないため芸能界の関係者ともプライベートで交際することはほとんどなかったと言います。
奥さんと二人のお子さんも自宅がどこにあるのかも表に出しませんでした。タクシーで送られる際も「この辺りで」と言い、自宅から離れた場所で降りていました。
◇山田洋次監督の弔辞
1996年(平成8年)8月13日、松竹大船撮影所で「寅さんのお別れの会」
5年前に渥美さんの病気を知り、予断を許さないのは知っていました。
体の衰えが目立ち始めて、小島の急な坂を登るときは、とてもつらそうだった。この時、この陽気な男が、映画から手を引く日も近いと思っていました。
そろそろ解放してあげたい、と思いながら、もう一作だけ、もう一作だけ、もう一作何とかと思って48作も撮ってきました。
医師から、正月遺作となった映画に出演できたのは、奇跡といわれました。ああ、悪いことをしました。後悔しています。つらい思いをさせてすいませんでした。
7月に入院して、肺の手術をした後、経過が思わしくなくて、ベッドに起き上がることも出来ず、うつむいたままと聞きました。
何故そんなに苦しめたのか。
27年間、映画を作る喜びを与えてくれてありがとう。スタッフも幸せでした。心からお礼を申し上げます。
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