ペン先の歴史、材料・製造工程
ペン先の歴史、材料・製造工程
ペン先の歴史
戦前は輸入品のムッソリーニペンが市場独占でした。その後スフィンクスペン、そして戦後に国産のこの丸善オリオンが発売されました。しかしまもなく消えてしまいます。
戦後まもなくのころは国内に40社を超えるメーカーがありましたが、ライオン・日光・ゼブラ、それに次ぐタチカワ・エレガントの大手5社が主流となっていきます。
戦前には物価統制をうけ、戦後には資材統制が行われるなど統制経済社会の中で鋼ペン先の生産技術や品質が磨かれました。
◇東京丸善から発売されたオリオンペン
製造メーカーは立川ペンでした。
材料
鋼ペン先の材料である特殊鋼は、時計のゼンマイ・製材用の帯鋸(おびのこ)や洋傘の骨、安全剃刀などに使われているものでした。
製造工程
材料の品質の吟味、焼入れ・加工・鍍金(メッキ)に経験を積んだ熟練技術者を必要としました。
出来上った製品は厳格な検査で選別されたのですが最初は大量の不良品が積み上がったといいます。素材の特殊鋼の低品質、加工用機械の加工精度不足、作業者の未熟などにより均一性のある製品がなかなか生まれませんでした。
しかし、鋼材の品質改良の要請、機械の改良、加工技術の向上により世界に誇る優秀な製品が作られるようになりました。
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古来から筆墨文化だった日本には、ペン先使用の習慣はありませんでした。明治初期に鋼ペン先が輸入されてからしばらく、日本の全需要は、イギリスなど外国の製品によってのみ充たされていました。
戦後、ペン業界の努力によって、日本工業得意のキメ細い高品質の鋼ペン先が造られ輸出するまでになりました。
◇参考資料:ペン先の歩み(平成7年8月 日本鋼ペン先工業組合発行)
ペン先の製造工程
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