館主日誌 Ⅱ

館主日誌 Ⅱ

注目の数字・驚きの数字 高齢化社会 2017.10.16

2007年生まれの半数が107歳まで生きる

リンダ・グラットン ロンドン・ビジネススクール教授



 リンダ・グラットン
  ロンドン・ビジネススクール教授

若い人は今から「人生100年時代」の生き方働き方を考える必要があります。
働く年数も長くなります。生活力を強くしないとなりません。
会社定年となり細々と生きている60代の私には、この予測をどう受け止めてよいか戸惑っています。孫たちにどう言ったらよいのでしょうか。 

世界では長寿化が急激に進んでいます。過去200年のデータを見ると、10年ごとに寿命が2年ずつ延びています。

先進国では1967年生まれの半数は91歳まで生きると見込まれます。1987年生まれは97歳、2007年生まれに至っては2人に1人が103歳まで生きることになります。日本の場合はさらに長寿で、2007年生まれの半数が107歳まで生きると予測されています。人生100年時代は私たちが思っているより速く、驚くべきスピードで進行しているのです。(グラットン教授)

ホームレスも高齢化、平均年齢は61.5歳

2017.9.19厚生省公表「ホームレスの実態調査結果」

ホームレス高齢化



 65歳以上42.8%
  前回の29.5%から大幅増

・路上生活の期間が10年以上全体の34.6%
  前回から8.6ポイント上昇 ホームレス生活が長期化
・ホームレスになった理由 「倒産や失業」など

こんな数字もあります。
◇2017.5.23厚生省公表
2017年1月に実施したホームレスの実態に関する全国調査(目視による概数調査)結果
・確認されたホームレス数5,534人(2017年1月の調査)

ホームレス数5,534人

ホームレス数が最も多かったのは
東京都(1,397人)

 私は大阪のホームレスが多い地域で暮らした経験から、ホームレスが多い地域は、住民がホームレスを許容する優しい感情を持っているところだと考えています。 
・ホームレスが確認された自治体 308市区町村
・確認されたホームレス数
  5,534人(男性5,168人、女性196人、不明170人
  昨年比べて701人(▲11.2%)減少
・ホームレス数が最も多かったのは東京都(1,397人)
  次は大阪府(1,303人)、神奈川県(1,061人)
  東京都23区及び指定都市で全国のホームレス数の約4分の3
・ホームレスが確認された場所
 「都市公園」23.0%、「河川」31.1%、「道路」18.0%、「駅舎」4.2%、「その他施設」23.8% )
 昨年から大きな変化なし

冷夏です。凶作の恐れがあります。

結果です。
栃木県の作況指数93 関東農政局10月31日公表(10月15日現在)

栃木県の10a当たり予想収量は510kgで、前年産に比べ41kgの減少が見込まれる。


★8/1~8/17までの日照時間1日平均1.8時間(例年の3分の一)
梅雨が明けて8月に入っても連日の雨模様です。温度も上がらない日が続いています。当地は今日も明日も雨が降るという予報です。
冷夏です。凶作の恐れがあります。
          那須塩原市(8/16日撮影)
稲はいつもの年より早く穂を出したということですが、低温のためなかなか実が大きくなりません。夏らしい暑さになり稲穂が黄金色になり首を垂れるようになってほしいです。 ⇒ 続き

栃木県北(大田原市)の8/1~8/17までの日照時間
 合計30.3時間(1日平均1.8時間)- 昨年107.5時間(1日平均6.3時間) -

「田中角栄」直筆はがき 支援者への礼状

「田中角栄」直筆はがき 支援者への礼状

 コピーしかありません。
  1947(昭和25)年6月

「祖国再建のために微力を傾倒しご厚言に報いたい」とお礼と抱負を記しています。

はがき全文/崩し字と変体仮名の現代文
ここまで読み解くのに三カ月かかってしまいました。崩し字と変体仮名を勉強しました。

この年の4月の日本国憲法による最初の総選挙で、田中は新潟3区から初当選しました。達筆です。頭が良くて気配りができる人だったのです。

高等小学校卒業卒と本人はいっていますが、上京後働きながら神田の中央工学校土木科(夜間部)などで学び、土建会社を立ち上げました。
はがきと一緒に残されていた名刺には、田中土建工業株式會社取締役社長となっています。
  ⇒田中角栄について

新潟の高等小学校卒業の田中角栄が総理大臣になったのは1972年(昭和47年) でした。
私たち団塊の世代の者にとっては、日本の高度成長をけん引した偉大な政治家として忘れることはできません。日本列島改造論、そしてロッキード事件など様々なことがありました。
  ⇒「田中角栄」直筆はがき 支援者への礼状

「船場亭(日光市)」の萱屋根の葺き替えが終わっていました。2017.5.5

「船場亭(日光市)」の萱屋根の葺き替え 「船場亭(日光市)」の萱屋根の葺き替え
                右は葺き替え中の写真
 栃木県日光市の鬼怒川沿いにある郷土料理店「船場亭」の萱屋根の葺き替えが終わっていました。レトロな昭和時代の古道具やホーロー看板などを見ることができます。

大鋸(おが)でカヤの木を切ってみました

大鋸(おが)でカヤの木を切ってみました  
 大木を大鋸(おが)で縦挽(たてび)きするために、大鋸をお買い求めいただく方が増えてきています。自分で挽いて切ってみないことにはお問合せにお答えできませんので改めて切ってみました。
最初の切り込みを入れるコツと力がないと切れないことがわかりました。

突然牙を剥いた那須岳のスキー場

那須岳2017.4.2 那須岳
この山に、2017年3月27日午前9時20分頃、突然牙(きば)を剥(む)き、栃木県立大田原高校山岳部8人(生徒7人、教諭1人)の命を奪ったスキー場があります。
写真を撮ったこの日(2017.4.2)は、白い山肌が早春の陽に映えて穏やかな姿でした。
大高(だいこう)の卒業生の一人として、自然の非情さを強くつよく恨みます。
突然牙を剥いた那須岳のスキー場
そして、何事もなかったように那須岳のふもとにある那珂川河畔公園には家族連れなどがくつろいでいました。
「那須石油発動機運転会」が行われていました。

那須野が原博物館 「昭和のくらし探検隊」

 当館最寄りの那須野が原博物館の企画展を最終日の昨日見学してきました。(2017.2.20)
館主日誌 Ⅱ
昭和の時代は60年以上続きましたが、その間に私たちの暮らしは大きく変わりました。戦前に使われていた道具から戦後に普及した電化製品まで、日々のくらしで使われていた懐かしい道具が紹介されていましたので、写真でご紹介します。⇒ 「昭和のくらし探検隊」写真
 当館でもまだ掲載していない同じような道具を所蔵していますので順次掲載してまいります。

消えていく手仕事の技術「寒竹籠(かんちくかご)」

消えていく手仕事の技術「寒竹籠(かんちくかご)」
最寄りの物産展で、思いがけなく編み上がったばかりの寒竹籠(かご)に出会いました。

当地方では、古くから地元に自生する寒竹を利用して籠や笊(ざる)などが作られてきました。農家の副業というより自家用として作られ利用されてきました。今ではものが豊富になり技術を持っている人が高齢化したこともありほとんど見られなくなってしまいました。⇒ 続き

天皇陛下、皇太子妃 雅子さま、常陸宮妃 華子さまが「那須の野」を詠まれました。-「歌会始」今年のお題は「野」- 2017.1.13

冬の那須岳

新春恒例の宮中行事「歌会始の儀」で、天皇、皇后両陛下や皇族方が詠まれた歌が披露されました。 (写真:冬の那須岳)

【天皇陛下】
邯鄲(かんたん)の鳴く音(ね)聞かむと那須の野に集(つど)ひし夜(よる)をなつかしみ思ふ
栃木県那須の御用邸にご滞在中、「邯鄲(かんたん)」という鈴虫に似た昆虫の美しい鳴き声を聴こうと皇后さまたちと外に出た1999年9月の情景を詠まれました。
  ⇒ 邯鄲(かんたん)
【皇太子妃 雅子さま】
那須の野を親子三人(みたり)で歩みつつ吾子(あこ)に教(をし)ふる秋の花の名''
【常陸宮妃 華子さま】
野を越えて山道のぼり見はるかす那須野ケ原に霞たなびく

◇入選者(10人)の歌から1首
野原ならまつすぐ走つてゆけるのに満員電車で見つけた背中
      東京都 鴨下彩さん(17)
   背中の人とは親しい友人でしょうか、恋しく思うひとでしょうか。


アニメブームが続いています (2016.11.29)

アニメブームが続いています 『アニメイト(animate)池袋本店』
2016年8月26日に公開された新海誠監督の長編アニメーション映画『君の名は。』が大ヒットしましたが、日本のアニメは、テレビや映画、コミック(漫画)で国内はもとより世界的なブームが続いています。
孫娘のコミックの模写
中1孫娘はアニメに夢中です。コミック本を読み、スマホでアニメを見ています。そしてコミック本を付けペンで模写しています。


同級生の葬儀に参列して。 (2016.11.05)

長く苦しい闘病生活だったことを聞いて、ただ一言「よく頑張ったね。もういいんだよ。ゆっくりお休み」と声を掛けました。

1年前、我が家へ訪ねてきてくれました。あいにく留守にしていましたが、ほどなくまた同級生と一緒に来てくれて、庭の黒柿の実を取って"甘いよ"と食べました。

やり残したことや見届けたいことがまだまだたくさんあっただろうに・・・
99歳の白寿を過ぎて100歳の天寿を全うした歌人・土屋文明の次の歌を引いて、あまりにも早いK君の死を痛切に悼みます。

食細くなりつつ生きて霜の下に草の枯れゆく心をぞ知る

1989年(平成元年)『アララギ9月号』- この年の9月18日、土屋文明は満99歳の白寿を迎えました。  ⇒ 土屋文明


セブ島(フィリッピン) 最新情報 (2016.10.30)  

世界有数のリゾートアイランド・セブ島へ娘に連れられて行ってきました。(2016.10.30)
ホテル JPARK セブの道路
 左:ホテルの部屋から見えるホテル敷地ゾーンとホテル入口前の道路。
   ギャップが大きいです。
 右トライシクル (Tricycle:三輪タクシー) これはきれいな方です。古いものがたくさん走っています。現地の人はバタバタと呼んでいました。
バイクの横に手製の乗客用の座席を取り付けた簡便なサイドカーのような乗物です。運転手達が観光客目当てにたむろしています。

 成田からフィリッピン航空の直行便で約5時間のフライトです。日本を訪れる外国の観光客が爆発的に増えていると言います。乗客は往復とも日本人は少なかったです。

  ⇒セブ島最新情報 もっと詳しく

メダカの冬越しの準備を始めました。

この春、知人から譲っていただいたメダカの初めての冬越しです。
メダカの冬越しの準備を始めました。

甕(かめ)に石と流木を入れました。底には小石と砂を入れています。
水の表面が凍っても、甕(かめ)の底、流木の陰でじっと寒さに耐えて冬を乗り越えてもらいたいです。

文豪藤村が愛用した矢立て

信州・小諸城址「懐古園」に行ってきました。(2016.10)
園内にあり「藤村記念館」に藤村が愛用した矢立てが展示されていました。
文豪藤村が愛用した矢立て 島崎藤村

スマホやパソコンなどなかった時代です。藤村がこの矢立てを携帯して、筆と墨で「小諸なる古城のほとり・・・」「まだあげ初めし前髪の・・・(初恋)」などの詩を書いたのかとその姿を想像しました。
林檎畑には、「秋映<あきばえ>」という林檎がその名のように秋の陽に赤く光っていました。
 ⇒ 小諸なる古城のほとり」全編  ⇒ 「初恋」全編

両親が大切していた"藁打ち石"(2016.9.8)

両親が大切していた"藁打ち石"1 藁打ちイメージ写真イメージ写真
両親が大切にしていた藁打ち石です。 使わなくなってからも庭の隅に置いてありました。

藁(わら)で草履(ぞうり)などを編んだりするには、まず藁を打ってやわらかくしなければなりません。
藁打ち石の上に藁を乗せ,左手でつかんだ藁を石の上で回しながら藁打ち棒でまんべんなくたたいてやわらかくします。 ⇒藁(わら)うち棒 C/D/E

両親が大切していた"藁打ち石"



 一人では持ち上げられない重さです。 

あまり強くたたかないで,棒の重さを利用し,口にふくんだ水を時々藁に吹きかけながらトントントントンと打っていきます。

稲作の副産物である藁(わら)は,農家にとってはたいへん利用価値の高いものでした。
わらぞうりなどの生活用具、縄、むしろ,もっこなどの生産用具を藁で編んで作りました。

冬になると土間(どま)にむしろを敷いて藁仕事です。
当時私の両親は日中は働き(日雇い作業=土方)に出ていましたので夜なべ仕事でした。
私は囲炉裏のそばで見ていました。
土間は冷たいですが、囲炉裏のそばは暖かかったです。

なんでこんな石を大切に残しておくのかと思っていましたが、両親を亡くしてからその思いがよく分かってきました。  

童謡 かあさんの歌
           作詞・作曲/窪田 聡

母さんが 夜なべをして 手袋編んでくれた・・・

母さんが 麻糸つむぐ
一日つむぐ
おとうは土間で わら打ち仕事
おまえも 頑張れよ
ふるさとの冬は さみしい
せめてラジオ 聴かせたい

a:971 t:3 y:2

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