館主日誌 Ⅱ

館主日誌 Ⅱ

親友の死を悲しんでいます2017.12.04

亡くなったK君のことを毎日思い出しています。K君と高校を卒業した昭和43年のこの歌を何度も口ずさんでいます。
悲しくてやりきれない

親友が逝きました。  2017.11.30

特に親しかった親友のK君が逝ってから2週間になりますが、もう会えないという実感がありません。毎日何かにつけて思い出し寂しい思いでいます。
『有る程の菊投げ入れよ棺の中』 夏目漱石
「楽しい思い出をたくさん残してくれてありがとう」と書いて花と一緒に棺に納めました。

K君思い出の椿

K君の庭の木から新芽をもらい挿し芽で育てた絞りの椿(ツバキ)です。
毎春この花が咲くとK君を思い出すに違いありません。

 左:去年咲いた花 右:来春咲くつぼみ
掲載するのをためらっていましたが、楽しい思い出を残してもらったことに感謝し、毎年椿の花を見て思い出すことが供養になると思いこの思いを記録するために掲載しました。

仲の良い同級生4人と何度もゴルフをしました。今年の6月には一緒に2回のゴルフをしました。そしていつものようにそのあとの飲み会。二人で居酒屋のカウンターで飲んだこともありました。K君はいつも決まってウーロン杯でした。

K君は歯科医でしたので治療もしてもらいお世話になりました。


注目の数字・驚きの数字 高齢化社会 2017.10.16

2007年生まれの半数が107歳まで生きる

リンダ・グラットン ロンドン・ビジネススクール教授



 リンダ・グラットン
  ロンドン・ビジネススクール教授

若い人は今から「人生100年時代」の生き方働き方を考える必要があります。
働く年数も長くなります。生活力を強くしないとなりません。
会社定年となり細々と生きている60代の私には、この予測をどう受け止めてよいか戸惑っています。孫たちにどう言ったらよいのでしょうか。 

世界では長寿化が急激に進んでいます。過去200年のデータを見ると、10年ごとに寿命が2年ずつ延びています。

先進国では1967年生まれの半数は91歳まで生きると見込まれます。1987年生まれは97歳、2007年生まれに至っては2人に1人が103歳まで生きることになります。日本の場合はさらに長寿で、2007年生まれの半数が107歳まで生きると予測されています。人生100年時代は私たちが思っているより速く、驚くべきスピードで進行しているのです。(グラットン教授)

「田中角栄」直筆はがき 支援者への礼状

「田中角栄」直筆はがき 支援者への礼状

 コピーしかありません。
  1947(昭和25)年6月

「祖国再建のために微力を傾倒しご厚言に報いたい」とお礼と抱負を記しています。
ここまで読み解くのに三カ月かかってしまいました。崩し字と変体仮名を勉強しました。

この年の4月の日本国憲法による最初の総選挙で、田中は新潟3区から初当選しました。達筆です。頭が良くて気配りができる人だったのです。

高等小学校卒業卒と本人はいっていますが、上京後働きながら神田の中央工学校土木科(夜間部)などで学び、土建会社を立ち上げました。
はがきと一緒に残されていた名刺には、田中土建工業株式會社取締役社長となっています。
  ⇒田中角栄について

新潟の高等小学校卒業の田中角栄が総理大臣になったのは1972年(昭和47年) でした。
私たち団塊の世代の者にとっては、日本の高度成長をけん引した偉大な政治家として忘れることはできません。日本列島改造論、そしてロッキード事件など様々なことがありました。

消えていく手仕事の技術「寒竹籠(かんちくかご)」

消えていく手仕事の技術「寒竹籠(かんちくかご)」
最寄りの物産展で、思いがけなく編み上がったばかりの寒竹籠(かご)に出会いました。

当地方では、古くから地元に自生する寒竹を利用して籠や笊(ざる)などが作られてきました。農家の副業というより自家用として作られ利用されてきました。今ではものが豊富になり技術を持っている人が高齢化したこともありほとんど見られなくなってしまいました。⇒ 続き?


同級生の葬儀に参列して。 (2016.11.05)

長く苦しい闘病生活だったことを聞いて、ただ一言「よく頑張ったね。もういいんだよ。ゆっくりお休み」と声を掛けました。

1年前、我が家へ訪ねてきてくれました。あいにく留守にしていましたが、ほどなくまた同級生と一緒に来てくれて、庭の黒柿の実を取って"甘いよ"と食べました。

やり残したことや見届けたいことがまだまだたくさんあっただろうに・・・
99歳の白寿を過ぎて100歳の天寿を全うした歌人・土屋文明の次の歌を引いて、あまりにも早いK君の死を痛切に悼みます。

食細くなりつつ生きて霜の下に草の枯れゆく心をぞ知る

1989年(平成元年)『アララギ9月号』- この年の9月18日、土屋文明は満99歳の白寿を迎えました。  ⇒ 土屋文明

両親が大切していた"藁打ち石"(2016.9.8)

両親が大切していた"藁打ち石"1 藁打ちイメージ写真イメージ写真
両親が大切にしていた藁打ち石です。 使わなくなってからも庭の隅に置いてありました。

藁(わら)で草履(ぞうり)などを編んだりするには、まず藁を打ってやわらかくしなければなりません。
藁打ち石の上に藁を乗せ,左手でつかんだ藁を石の上で回しながら藁打ち棒でまんべんなくたたいてやわらかくします。 ⇒藁(わら)うち棒 C/D/E

両親が大切していた"藁打ち石"



 一人では持ち上げられない重さです。 

あまり強くたたかないで,棒の重さを利用し,口にふくんだ水を時々藁に吹きかけながらトントントントンと打っていきます。

稲作の副産物である藁(わら)は,農家にとってはたいへん利用価値の高いものでした。
わらぞうりなどの生活用具、縄、むしろ,もっこなどの生産用具を藁で編んで作りました。

冬になると土間(どま)にむしろを敷いて藁仕事です。
当時私の両親は日中は働き(日雇い作業=土方)に出ていましたので夜なべ仕事でした。
私は囲炉裏のそばで見ていました。
土間は冷たいですが、囲炉裏のそばは暖かかったです。

なんでこんな石を大切に残しておくのかと思っていましたが、両親を亡くしてからその思いがよく分かってきました。  

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