学問のすゝめ 初編 明治4年の復刻版

学問のすゝめ 初編 明治4年の復刻版

学問のすゝめ 初編 明治4年の復刻版1



 ¥1,000.(箱付き) 

 冒頭の書き出しはあまりにも有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」です。この時代はまだ変体仮名が使われていました。
 端書(はしがき)は明治4年12月付となっています。翌年明治5年2月に出版されました。端書に「慶應義塾の活字版を以て印刷された」と記載されています。

問のすゝめ 初編 明治4年の復刻版2
最初はこの1編だけ刊行されました。
中津(大分県)に創った学校の生徒のために出版されたのでした。その後、評判を呼び、増刷されました。
さらに、人びとから続編を要望され、39歳から43歳(明治4年から9年)に至るまで5年にわたり17編まで続編が断続的に書かれ、つど出版されました。

問のすゝめ 初編 明治4年の復刻版3
 箱に入っています。箱にはヤケがあります。

問のすゝめ 初編 明治4年の復刻版4
 新書版(左)より一回り大きいサイズ(12×18.5cm)です。

学門のすゝめ 初編 明治4年の復刻版5

学問のすゝめ 変体仮名





 変体仮名が使われています。

 天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへりされば天より人を生ずるには萬人は萬人みな同じ位にして生まれながら貴賤《きせん》上下の差別なく、・・・・

 内容はもとより古文書を読むための教材にもなります。
  

この初編のみ小幡篤次郎と共著です。

◇小幡 篤次郎(おばた とくじろう)は、幕末の中津藩士でした。明治時代の政治家(貴族院議員)で教育者です。

問のすゝめ 初編 明治4年の復刻版6
 23ページ、厚さ1.5ミリの薄い本です。

問のすゝめ 初編 明治4年の復刻版7
 端書(はしがき)
 このたび余輩の故郷中津に学校を開くにつき、学問の趣意を記して旧(ふる)く交わりたる同郷の友人へ示さんがため一冊を綴りしかば、或る人これを見ていわく、「この冊子をひとり中津の人へのみ示さんより、広く世間に布告せばその益もまた広かるべし」との勧めにより、すなわち慶応義塾の活字版をもってこれを摺(す)り、同志の一覧に供うるなり。
  明治四年        福沢諭吉  
  未(ひつじ)十二月    小幡篤次郎   記

◇現代語訳
学問の目的を記して、同郷のふるい友人に読んでもらうためにこの冊子を作った。中津の人だけに読んでもらうよりも、広く世間に発表すれば、多くの人に役立つだろうと勧めてくれたので、『慶應義塾の活字版を以てこれを摺り』関心のある方々に読んでいただくことにした。

問のすゝめ 初編 明治4年の復刻版9
 昭和54年2月 近代文学館発行の復刻版です。(発行年月には違いがある場合があります)

◇「学問のすゝめ」概要
17編の内容を把握している人は少ないと思います。
私も今回改めて認識しました。
自由論、天賦人権論、国家独立論、人望論などが書かれています。女性の独立、男女の平等、女性解放なども唱えています。

諭吉の母、お順は、人間の貴さは身分とは別のところにあると考えていたようです。身分にこだわらず気の毒な人に親切を惜しまなかった母の姿を見て諭吉は育ちました。その母の行動を誇りに思い、人の権利が平等であるとの考えは、母の考え方に由来するといわれています。

14編以降は、経済書のように書かれています。「企業に棚卸が必要なように、個人にも棚卸が必要である」などと書かれています。


◇福沢諭吉 (ふくざわ ゆきち)
幕末・明治の教育者(啓蒙思想家)です。
豊前国中津藩士福沢百助の五男。緒方洪庵に蘭学を学びjました。
さらに英語を修得し、咸臨丸で渡米、その後渡欧して各国を視察、『西洋事情』を刊行し欧米文明の紹介に努めました。
また、慶應義塾を創設し活発な啓蒙活動を行いました。

『学問のすゝめ』は、ベストセラーとなる。
「時事新報」を創刊し、政治・時事・社会問題や婦人問題などに幅広く論説を発表しました。明治34年(1901)没、68才でした。

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