「男はつらいよ」第3作 特大スチル写真 A98

「男はつらいよ」第3作 特大スチル写真 A98

「男はつらいよ」第3作 特大スチル写真 A98-1

 2,500円

 特大サイズ:写真全紙
  (457×560ミリ/18×22インチ)

 『男はつらいよ』寅さんシリーズの第3作『フ―テンの寅』。50年ほど前の映画です。
 非売品 映画館のショーウィンドウ用 使用されたものです ピン穴やヤケなどがあります

「男はつらいよ」第3作 特大スチル写真 A98-2
 透明のビニルに包んで保護してあります。写真右上の波打っているしわは透明ビニルです。
男はつらいよ

第3作 男はつらいよ 『フ―テンの寅』(昭和45(1970)年1月 公開)

 マドンナを演じた女優と役柄:新珠三千代(旅館の女将 志津)
 ロケ地:三重県(湯の山温泉)、鹿児島県(種子島)

柴又に帰って来た寅さんを待ち受けていたのは、見合い話でした。相手は川千屋の仲居・駒子(春川ますみ)。彼女は寅さんの昔なじみで、亭主持ちということで、大騒動になります。それから暫くして、竜造とつね夫婦が、三重県の湯の山温泉へ旅行に行くと、なんと旅館で寅さんが番頭をしていたのでした。旅館の美人女将・志津(新珠三千代)に一目惚れして、居着いてしまったという・・・
『なつかしい風来坊』(66年)など山田洋次作品の脚本を手がけた森崎東監督による第3作です。旅先の寅さんの姿が、活き活きと描かれています。宴会で余興を頼まれた寅さんが、又旅姿で「旅笠道中」に併せて、マドンナの名前「お志津!」と叫びます。寅さんの純情がストレートに伝わってきます。香山美子扮する芸者と、その父で元テキヤの花沢徳衛をめぐるエピソードは、森崎作品ならではの味です。

「男はつらいよ」第3作 特大スチル写真 A98-3
 右下のペットボトルは大きさの参考です。

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 分かりにくいですが、四隅にピン穴やしわがあります。ヤケ、汚れや小傷があります。

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「男はつらいよ」第3作 特大スチル写真 A98-8

寅さんの啖呵売

四角四面は豆腐屋の娘、色が白いが水臭い。四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ちションベン、ってなどうだ。

映画『男はつらいよ』はお正月映画の定番でした。
寅さんこと渥美清さんは1996年8月4日に転移性肺がんのため亡くなりました。68才でした。

男はつらいよ
◇渥美清主演、山田洋次原作・監督(一部作品除く)のテレビドラマと映画。
・テキ屋稼業の「フーテンの寅」こと車寅次郎。
 何かの拍子に故郷の葛飾柴又に戻ってきては騒動を起こす人情喜劇シリーズです。
・毎回旅先で出会った「マドンナ」に惚れますが、失恋するか身を引くかです。
・風景が美しい日本各地がロケ地になっています。
 42作以降は病魔と闘いながらの凄絶なロケだったそうです。

■渥美清  
1996年(平成8年)8月4日、転移性肺癌のため東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で68才でこの世を去りました。

「俺のやせ細った死に顔を他人に見せたくない。骨にしてから世間に知らせてほしい」という渥美の遺言により、家族だけで密葬が行われ、遺体は東京都荒川区内の町屋斎場で荼毘に付されました。
訃報は3日後の1996年8月7日に松竹から公表されました。

死後、日本政府から渥美に国民栄誉賞が贈られました。
俳優では、1984年に死去した長谷川一夫に次いで2人目の受賞でした。

「渥美清=寅さん」のイメージを壊さないため芸能界の関係者ともプライベートで交際することはほとんどなかったと言います。
奥さんと二人のお子さんも自宅がどこにあるのかも表に出しませんでした。タクシーで送られる際も「この辺りで」と言い、自宅から離れた場所で降りていました。

◇山田洋次監督の弔辞
 1996年(平成8年)8月13日、松竹大船撮影所で「寅さんのお別れの会」

5年前に渥美さんの病気を知り、予断を許さないのは知っていました。

体の衰えが目立ち始めて、小島の急な坂を登るときは、とてもつらそうだった。この時、この陽気な男が、映画から手を引く日も近いと思っていました。
そろそろ解放してあげたい、と思いながら、もう一作だけ、もう一作だけ、もう一作何とかと思って48作も撮ってきました。

医師から、正月遺作となった映画に出演できたのは、奇跡といわれました。ああ、悪いことをしました。後悔しています。つらい思いをさせてすいませんでした。
7月に入院して、肺の手術をした後、経過が思わしくなくて、ベッドに起き上がることも出来ず、うつむいたままと聞きました。
何故そんなに苦しめたのか。

27年間、映画を作る喜びを与えてくれてありがとう。スタッフも幸せでした。心からお礼を申し上げます。

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onacab 1907

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