露営蚊帳(ろえいかや)

露営蚊帳(ろえいかや)

露営蚊帳(ろえいかや) ¥8,500.
 晝(ひる)は蠅を防ぎ夜は蚊を防ぐ露営蚊帳
 汚れやヤケはありますが蚊帳に破れはありません。

露営蚊帳(ろえいかや)2
 収容袋には強いヤケ、小さい虫食い穴が有ります。

露営蚊帳(ろえいかや)3

露営蚊帳(ろえいかや)4

露営蚊帳(ろえいかや)5

露営蚊帳(ろえいかや)6

露営蚊帳(ろえいかや)7

露営蚊帳(ろえいかや)8



下記の南方(ニューギニア)における「私の戦争体験」により、露営蚊帳の必要性が良く分かります。
この露営蚊帳は体験記に記載されている蚊帳より少し小さいです。

出典:平和展示記念資料館ホームページ

私の戦争体験 東部ニューギニア 後方部隊の労苦  茨城県 浦沢良平 より抜粋

枯れ草を集めて敷布団、日よけ虫除け用のスダレも作ったが、私達を悩まし苦しめた蚊の防除対策が何とも出来ず、終日吊りっぱなしの南方部隊用の蚊帳(九〇センチ×一八〇センチ程度の携帯用)の中百幾千とも知れない蚊の大群。そのうち七割以上がマラリア媒介のアノフェレス蚊などが、昼夜をとわずブンブンブンと来襲した。

体の周りにまとわりついて離れず、手といわず顔といわずたちまちにして真っ黒になるほどの蚊の大郡、両手は絶えず団扇を使って彼等との戦い。全く蚊多さに驚き、また処置無しを嘆くのみだ。

一度蚊帳出入りすればどうしても身体についた蚊が、四十~五十匹は中に入ってしまい、これを叩き殺すのに一苦労する。この蚊群の中に生活をすればマラリアの伝染は驚くべき速度で蔓延する。マラリアなど知らなかった我々新鋭部隊も、十日と過ぎるとほとんど四十度の発熱しかもこれが
二〜三日続く。体力、薬物があるうちはマラリアも二〜三日で治まったが、月日の経つに従いこのマラリアが皇軍将兵の命取りとなった。

この大戦の犠牲者は日本人だけでも何百万人という数でした。戦闘だけでなく蚊、マラリアなどとの戦いもあったのです。
私の義父は南方で戦い運よく帰国できましたが、人の死、軍馬の死を見てきたからと言って肉はほとんど口にしませんでした。代わりに魚の刺身を好物として口にしていました。

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