ゼンマイ式柱時計 鉤型 文字盤右 A254

ゼンマイ式柱時計 鉤型 文字盤右 A254

ゼンマイ式柱時計 鉤型 文字盤右 A254-1

  売切れ
 9,800円 
  精工舎 SEIKOSHA

  鉤型(かぎかた)の珍しいゼンマイ式ボンボン時計です。汚れやキズがありますが動きます。

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  チックタック・チックタックと動きます⇒YouTube

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HIGH GRADE EIGHT DAY CLOCK

MANUFACTURED BY SEIKOSHA

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 汚れ、キズ、補修跡があります。

ゼンマイ式柱時計 鉤型 文字盤右 A254-11 
 汚れ、キズがあります。

柱時計

昔はどの家庭にもあった柱時計です。
ゼンマイ時計、ボンボン時計、振り子時計などともいいます。

カチカチと規則正しく時を刻む音がします。この振り子の音色もボーンボーンと時を打つ音も時計によって微妙に違います。
  ⇒ 時刻の合わせ方

精工舎

現在では時計のSEIKOブランドで有名なセイコーホールディングス株式会社が服部時計店と名乗っていた1892年に、墨田の旧ガラス工場を買い取ってに創立しました。

当時は、服部時計店の製造部門として柱時計をはじめ国産初の懐中時計や目覚まし時計を生産しており、1924年に初めてSEIKOブランドの腕時計を発売しました。服部時計店は企画やマーケティング、保守サービスなどを行うことで精工舎とは協業関係にあり、1970年には服部時計店から分社化され、株式会社精工舎となりました。

1937年に株式会社第二精工舎が精工舎より先に分社化されています。腕時計の製造部門を第二精工舎として東京の亀戸に工場を構えています。

1944年、第二精工舎は太平洋戦争の影響で疎開を余儀なくされ、第二精工舎の関連会社、大和工業と共に長野県の諏訪にてウォッチの製造を始めました
戦後に大和工業を母体(大和工業にて製造を行われていたため)に第二精工舎(第二精工舎、諏訪事業所とでも言うべきでしょうか)が吸収され、株式会社諏訪精工舎となります。諏訪精工舎は1985年に、諏訪精工舎とエプソンが合併し、セイコーエプソン株式会社となっています。そして亀戸にある第二精工舎は2004年に現在のセイコーインスツル株式会社となり、現在もセイコーウォッチ株式会社向けに腕時計の製造・開発を行っています。

1970年に服部時計店から分社化した精工舎は、1996年、セイコークロック株式会社とセイコープレシジョン株式会社に分割されます。これをもって、精工舎の名前を持つ会社は消えることとなりました。

戦争のいざこざから非常に複雑になったセイコーですが、分裂した結果、亀戸と諏訪が切磋琢磨する関係となり、現在にも引き継がれる技術力が磨かれ日本が誇る腕時計の歴史の礎を築きました。


沿革 セイコーホールディングス

出典:ウィキペディア(Wikipedia)

1881年(明治14年)12月 - 服部金太郎が服部時計店を創業し、中古時計を買い取り修繕して売り出す事業を開始。
1892年(明治25年)3月 - 時計工場である精工舎を設立し、国産クロックの製造を開始して、精工舎で製造した国産クロックの販売を服部時計店で始める。
1896年(明治29年) - 同社初の懐中時計「タイムキーパー20型」を発売(発売を1894年(明治27年)、または1895年(明治28年)とする異説もある)。
1917年(大正6年)10月29日 - 会社組織に改め資本金500万円の株式会社服部時計店(英文:K. Hattori & Co., Ltd.)となる。
1937年(昭和12年)9月 - 工場精工舎のウオッチ部門が分離独立し、株式会社第二精工舎(現在のセイコーインスツル株式会社)となる。
1947年(昭和22年)4月 - 小売部門を分離し、株式会社和光設立。
1949年(昭和24年)5月 - 東京証券取引所上場。
1959年(昭和34年)5月 - 株式会社第二精工舎の諏訪工場が分離独立し、株式会社諏訪精工舎(現在のセイコーエプソン株式会社)となる。
1960年(昭和35年) - 「世界に挑戦する最高級の腕時計を作る」という理念のもと、グランドセイコーを発売。発売価格は25,000円。当時の大卒正社員の初任給の約2倍という高額であった。
1964年(昭和39年)10月 - 東京オリンピック公式計時。
1969年(昭和44年)12月 - 世界初のアナログクォーツウォッチ アストロン 35SQ[1](諏訪精工舎製)を発売。
1970年(昭和45年)11月 - 工場精工舎を分離し、株式会社精工舎を設立。
1972年(昭和47年)2月 - 札幌オリンピック公式計時担当。
1979年(昭和54年) - 廉価版腕時計ALBAを発売。
1983年(昭和58年)8月 - 社名を株式会社服部セイコー(英文:Hattori Seiko Co., Ltd)とする。
1988年(昭和63年) - 休眠していたグランドセイコーブランドをクオーツ時計で復活させた。
1990年(平成2年) - 英文社名をSeiko Corporationとする。
1992年(平成4年)7月 - バルセロナオリンピック公式計時担当。
1994年(平成6年)2月 - リレハンメルオリンピック公式計時担当。
1996年(平成8年)1月 - 株式会社セイコーオプティカルプロダクツを設立し、眼鏡事業を分社。セイコークロック株式会社とセイコープレシジョン株式会社を設立。
1996年(平成8年)3月 - 精工舎のクロック事業をセイコークロックに、その他の精密・情報事業をセイコープレシジョンに営業譲渡し、精工舎を分割する。
1997年(平成9年)7月 - 社名をセイコー株式会社とする。
1998年(平成10年)2月 - 長野オリンピック公式計時担当。
1998年(平成10年) - 機械式腕時計でグランドセイコーの製造を再開。
2000年(平成12年)6月 - ALBAのプレミアムファッションブランドモデルWIREDが発売。
2001年(平成13年)7月 - セイコーウオッチ株式会社を設立し、ウオッチ事業を分社。事業子会社の「セイコーウオッチ」、「セイコークロック」、「セイコープレシジョン」、「セイコーオプティカルプロダクツ」等を統括する持株会社となる。
2002年(平成14年)2月 - ソルトレイクシティオリンピック公式計時担当。
2007年(平成19年)7月 - 社名をセイコーホールディングス株式会社(英文:Seiko Holdings Corporation)に変更。
2009年(平成21年)10月1日 - セイコーインスツルを完全子会社化。
2012年(平成24年)6月 - セイコースポーツライフのゴルフ事業(S-YARD)および電気シェーバー(取り替え刃を含む)事業を、それぞれ中国ダイレクトリンク(中国系企業)および泉精器製作所に事業譲渡。

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