荻窪の「碧雲(へきうん)荘」

荻窪の「碧雲(へきうん)荘」

『ゆふいん文学の森』への移築工事が進んでいます。(2017.2.6)

太宰治ゆかりの「碧雲(へきうん)荘」が大分県由布市の由布院温泉に移築されることになりました。太宰ファンの一人としてとてもうれしいです。2016.2.17読売新聞

家を転々としながら執筆活動を続けていた太宰です。住んでいた家が現在も残っているのは珍しく、貴重な建物である碧雲荘です。所有者が手放すことになり取り壊しが決まりました。
 文化的価値の高い建物への解体を惜しむ声があがるなか、立ち上がったのが由布市湯布院町で旅館を経営する橋本律子さんでした。
個人で購入した土地に森をつくろうと計画していたそうですが、碧雲荘の話を知り、移築費を負担して「文学の森」として整備することにしたのです。

2017年(平成29年)、「碧雲(へきうん)荘」が移築された「ゆふいん文学の森」がオープンしました。熊本・大分地震の本震から1年後です。


東京・荻窪の「碧雲(へきうん)荘」
荻窪の「碧雲(へきうん)荘」1
太宰が下宿していた昭和初期は閑静な住宅地だったのでしょうが、今では周辺は開発されておりその中にひっそりと住人のない建物として残っています。
                    2015.10.18撮影
荻窪の「碧雲(へきうん)荘」2
荻窪駅の北口から1キロほど歩くと天沼本通りの右手に荻窪税務署があります。その先一つ目の角を右に曲るとすぐです。
看板も碧雲荘の表札もありません。

荻窪の「碧雲(へきうん)荘」4

太宰は2階の8畳間に、薬物中毒を治して退院したすぐ後の、昭和11年11月15日から昭和12年6月20日まで約7か月間住んでいました。
昭和12年3月に初代夫人と心中未遂事件を起しその後もなく離別しました。

「 アパートの便所の、金網が張られた四角い窓から見えた富士を忘れない」と小説「富嶽百景」に書いてありますが、それがどこかは分かりませんでした。

荻窪の「碧雲(へきうん)荘」5

この部屋で太宰は「人間失格」の原型とされる「HUMAN LOST」を執筆しました。その後に書かれた「富嶽百景」には、ここでの生活を綴ったシーンがあります。
「あかつき、小用に立って、アパートの便所の金網張られた四角い窓から、富士が見えた。小さく、真っ白で、左のほうにちょっと傾いて、あの富士を忘れない」
太宰は、愛する人の裏切りを知り、共同便所の窓から小さく見える富士を眺めてじめじめと泣いたのでした。

もっと詳しく⇒太宰治「富士には月見草がよく似合う」 C04

荻窪の「碧雲(へきうん)荘」6
近代文学研究家 渡辺保幸さんも来られて写真を撮られていていろいろお聞きできました。
他にも数人の方が写真を撮っていました。

荻窪の「碧雲(へきうん)荘」7

荻窪の「碧雲(へきうん)荘」8

荻窪の「碧雲(へきうん)荘」9
一階に大屋さんの大工の棟梁が住んでいたそうです。大工さんの住まいですから造りはよくできています。ステンドガラスが用いられ和洋折衷のようです。

荻窪の「碧雲(へきうん)荘」10
玄関に"使っていません"の貼紙です。

荻窪の「碧雲(へきうん)荘」11

荻窪の「碧雲(へきうん)荘」12
青い夏みかんの実がなっていました。

碧雲荘から500メートルほどのところに太宰が師と仰いだ井伏鱒二が住んでいた家があるとのことですが、今回は時間の都合でいけませんでした。

三鷹の禅林寺にある太宰の墓にも行きたいと思っています。
森鴎外(本名、森林太郎)の墓もあるそうです。

a:728 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional