東日本大震災の復興進む東北

東日本大震災の復興進む東北

復興進む東北 陸前高田 奇跡の一本松
   右:陸前高田の奇跡の一本松(モニュメント)

東北の復興状況を見てきました。震災後3度目となります。
 (雨模様の日でしたので写真はよく撮れていません。)

 瓦礫はほとんど撤去されていました。道路の改修もほとんど終えて、拡張や新設の段階になっています。道路の拡張や新設の規模は想像以上でした。力強さ、日本の底力を感じました。

土地の整備はこれからのようです。砂利や土があちこちに山と積まれていました。高台への住宅地造成も始まったばかり。震災後5年、復興は着実に進んでいますが、工事の工程が多く範囲が広いですから復興はまだまだ先のようです。

震災直後の状況(2011年4月)
東北 震災直後の状況1

東北 震災直後の状況2
  ⇒東日本大震災の記録 朝日・読売縮刷版


東日本大震災の復興進む東北

復興進む東北 釜石港
 復興工事が進む釜石港 手前のシートの中は瓦礫です。

復興進む東北2
 復興工事が進む釜石港 たくさんのクレーンなどの重機が使用されています。

復興進む東北3
 高く積まれた土砂 あちこちにたくさんありました。

復興進む東北4

復興進む東北 女川町
 高台移転の宅地造成工事現場 女川町

南三陸"さんさん商店街"
 南三陸"さんさん商店街" 新鮮な地元の魚介類を売るお店や電気店などが仮設商店街で営業しています。

 鮮魚店でワカメや昆布、ホヤをお土産に買いました。安くて新鮮です。

ワカメは早速しゃぶしゃぶにしていただきました。
海なし県の栃木でしゃぶしゃぶにできるワカメはなかなか手に入りません。

復興進む東北 女川町
 かまぼこ工場

工場見学ができます。

作りたてのかまぼこをコンロで焼いて食べさせていただきました。
丁寧に焼き方や食べ方を教えていただきました。

最初の一口は、熱いので注意をして調味料を付けないで、かまぼこ本来の甘味を味わいます。
次は、塩わさびなどの調味料をお好みでかけていただきます。

おいしかったです。お土産にいろいろ買いました。



陸前高田の奇跡の一本松

陸前高田の奇跡の一本松
モニュメントとして残されています。

陸前高田市の死者、行方不明者は2,000人近くにのぼります。
市街地や海沿いの集落は壊滅しました。

約7万本の高田松原
約350年前から植林され守られてきた約7万本の高田松原。
大津波に耐えて唯一残ったのが「奇跡の一本松」です。
奇跡的に残った一本松でしたが、海水により深刻なダメージを受け、平成24年5月に枯死が確認されました。

震災直後から復興のシンボルとして親しまれてきた"奇跡の一本松"を、陸前高田市はモニュメントとして保存しました。

各部分は可能な限り残され、屋外展示に耐えられるように保存処理されています。



多くの犠牲者を出した気仙沼市立大川小学校

気仙沼市立大川小学校1

東日本大震災で、児童74人と教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校も保存されることになりました。

宮城県石巻市立大川小学校

大川小という名前のとおり大きな川(北上川)の沿岸にあります。

1873年(明治6年)に桃生郡釜谷小学校として開校した歴史のある学校です。
明治維新のこのころ各地に小学校が開設されました。日本の発展の礎となる子女教育がスタートしました。

気仙沼市立大川小学校 献花1

気仙沼市立大川小学校 献花2



 たくさんの人がおとずれ献花をしていました。

一方で、児童のご遺族の一部の方が、市・県に国家賠償を求めて訴訟が行われている悲しい現実があります。

こちらもご覧ください。⇒▶大震災他災害記録


家族で泊めていただいた南三陸ホテル観洋

 南三陸ホテル観洋

 震災後に天皇陛下ご夫妻がお泊りになったホテルです。
 海は何事もなかったように穏やかでした。
 牡蠣などの養殖も始まっていました。 

津波の被害を受けましたが被害のなかった上階の部屋などにたくさんの被害者を受入れました。
画像の説明
部屋の窓辺にカモメでしょうか海鳥がやって来ました。

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