明治5年太政官布告第214号と学問のすゝめ

明治5年太政官布告第214号と学問のすゝめ

邑(ムラ)ニ不学ノ戸ナク家ニ不学ノ人ナカラシメン事ヲ期ス

大政奉還から間もない明治5年の太政官布告第214号「学事奨励に関する
仰せ出だされ書」の序文の中にこの一文があります。この布告は、学制を定め学問を奨励するものでした。

文明開化の時代に、近代日本最初の公教育制度「学制」を規定しました。日本の近代教育はここから始まりました。

この布告に基づいて全国各地にたくさんの小学校が作られました。私の地元の大貫小学校は明治7年4月に開校しています。

小学校の開設は、急速に進められ、3,4年の間に、26,000ほどの小学校が設置されました。(文部科学省ホームページ「学制百年史」より)

明治以前にも武士階級には藩校、一般庶民には数多くの寺子屋がありましたが、貧しい農民などが学ぶ機会はなかったのでした。
私のこの布告の序文を知ったときの感動はとても大きなものでした。私の生まれた家は、かつては小作農でした。

序文の最後はこう結ばれています。(現代文にしています)
『地方官において、片田舎の身分の低い人民に至るまで漏らすことのないよう、適宜、(学制の)意味を説き明かしてやり、詳しく細かく申し諭し、文部省規則に従い、学問が普及するよう方法を設けて施行すべきこと。

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    学問のすゝめ 初編 明治4年の復刻版
『学問のすゝめ』(福沢諭吉)が発刊されたのはこの布告の前年の明治4年12月でした。(写真は当館所蔵の復刻版です)
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」・・万人みな同じ位だと言い、学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となると学ぶことを奨めています。
 (初編から17編までシリーズとして発行されました。初編のみ小幡篤次郎と共著になっています。)


小学讀本(しょうがくとくほん)巻之五(明治14年出版 当館蔵書)でも、次のように学問を奨励しています。
小学讀本(しょうがくとくほん)巻之五(明治14年出版)
第一回
「人の世にあるや、貴き賤(いやし)きの別(わか)ちなく、幼年の時より、學問を勉め、才能を磨き、身を脩め、家を齊(ととの)ふるを、第一の務めとす(*)、幼年より、學門して、身の才能を磨かざれば(*)如何に(*)富貴の人たりとも、行末必ず(*)貧賤の者となるな(*)り、故に(*)幼稚の時より、父母長者の、訓戒に(*)従いて、苟(いやしく)も戻ること有るべからず(*)
 RIGHT:(*)は変体仮名を現代のかなに書き替えています。

士族、平民などの身分制度や女性参政権などまだまだ課題はありましたが、こうして新しい時代が始まりました。

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