寅さん絵入りはがきセット【全48作品】NO.3

寅さん絵入りはがきセット【全48作品】NO.3

寅さん絵入りはがきセット【全48作品】NO.3 1



 ¥2.900. 
  左は売切れです
 ⇒映画 「男はつらいよ」全49作品ポスター 52枚 

寅さん絵入りはがきセット【全48作品】NO.3 2
 箱の持ち手の部分には折れキズがあります。

寅さん絵入りはがきセット右1
 右の箱には黒いシミがあります。

寅さん絵入りはがきセット右2
 定価3500円でした。

寅さん絵入りはがきセット9
 『男はつらいよ』シリーズ全48作品解説【トラの巻】が付いています。

寅さん絵入りはがきセット7

寅さん絵入りはがきセット右8

寅さん絵入りはがきセット3
 はがきには目立った汚れやキズはありません。

寅さん絵入りはがきセット4

寅さん絵入りはがきセット5

寅さん絵入りはがきセット6 第1作

寅さん絵入りはがきセット7 第2作

映画『男はつらいよ』はお正月映画の定番でした。
寅さんこと渥美清さんは1996年8月4日に転移性肺がんのため亡くなりました。68才でした。

男はつらいよ
◇渥美清主演、山田洋次原作・監督(一部作品除く)のテレビドラマと映画。
・テキ屋稼業の「フーテンの寅」こと車寅次郎。
 何かの拍子に故郷の葛飾柴又に戻ってきては騒動を起こす人情喜劇シリーズです。
・毎回旅先で出会った「マドンナ」に惚れますが、失恋するか身を引くかです。
・風景が美しい日本各地がロケ地になっています。
 42作以降は病魔と闘いながらの凄絶なロケだったそうです。

  
●下段が、マドンナを演じた女優名、()内はマドンナの役柄と名前、ロケ地。

第1作 1969/8 「男はつらいよ」
光本幸子(御前様の娘 冬子) 京都府、奈良県

第2作 1969/11 「続・男はつらいよ」
佐藤オリエ(チェロ奏者 夏子) 京都府、三重県(拓植)

第3作 1970/1 「男はつらいよ・フーテンの寅」
新珠三千代(旅館の女将 志津) 三重県(湯の山温泉)、鹿児島県(種子島)

第4作 1970/2 「新・男はつらいよ」
栗原小巻 (幼稚園の先生 春子) 名古屋市

第5作 1970/8 「男はつらいよ 望郷篇」
長山藍子(美容師 節子) 千葉県(浦安市)、北海道(札幌市、小樽市)

第6作 1971/1 「〃 純情篇」
若尾文子 (主婦 夕子) 長崎県(長崎市、福江島)、静岡県(浜名湖)

第7作 1971/4 「〃 奮闘篇」
榊原るみ (知的障害を持つ少女 花子) 新潟県(越後広瀬)、沼津市、青森県(鰺ヶ沢町、弘前市)

第8作 1971/12 「〃 寅次郎恋歌」
池内淳子(喫茶店経営 貴子) 岡山県(備中高梁)

第9作 1972/8  「〃 柴又慕情」
吉永小百合 (OL 歌子) 金沢市、福井県(東尋坊)

第10作 1972/12  「〃 寅次郎夢枕」
八千草薫(美容院経営 千代) 山梨県(甲府市)、長野県(奈良井)

第11作 1973/8   「〃 寅次郎忘れな草」
浅丘ルリ子(旅回りのキャバレー歌手 リリー) 北海道(網走)

第12作 1973/12  「〃 私の寅さん」
岸惠子 (画家 りつ子) 熊本県(天草、阿蘇)、大分県(別府)

第13作 1974/8   「〃 寅次郎恋やつれ」
吉永小百合 (OL 歌子) 島根県(津和野、温泉津)

第14作 1974/12  「〃 寅次郎子守唄」
十朱幸代(看護師 京子) 佐賀県(唐津市)、群馬県(磯部温泉)、埼玉県

第15作 1975/8   「〃 寅次郎相合傘」
浅丘ルリ子 (旅回りのキャバレー歌手 リリー) 青森市、函館市、長万部町、札幌市、小樽市

第16作 1975/12  「〃 葛飾立志篇」
樫山文枝 (大学の考古学研究所助手 礼子) 山形県(寒河江市)、静岡県

第17作 1976/7   「〃 寅次郎夕焼け小焼け」
太地喜和子(芸者 ぼたん) 兵庫県(龍野市)

第18作 1976/12  「〃 寅次郎純情詩集」
京マチ子(病気療養中の未亡人 綾) 長野県(別所温泉)、新潟県(六日町)

第19作 1977/8  「〃 寅次郎と殿様」
真野響子 (運送会社勤務 鞠子) 愛媛県(大洲市)

第20作 1977/12  「〃 寅次郎頑張れ!」
藤村志保 (土産物屋経営 藤子) 長崎県(平戸島)

第21作 1978/8   「〃 寅次郎わが道をゆく」
木の実ナナ(歌劇団のスター 奈々子) 熊本県(田の原温泉)

第22作 1978/12  「〃 噂の寅次郎」
大原麗子(団子屋手伝い 早苗) 長野県(木曽福島)、静岡県(大井川)

第23作 1979/8   「〃 翔んでる寅次郎」
桃井かおり(お嬢様 ひとみ)  北海道(支笏湖)

第24作 1979/12  「〃 寅次郎春の夢」
香川京子 (翻訳業 圭子) 和歌山県、京都府、アメリカ合衆国(アリゾナ州)

第25作 1980/8   「〃 寅次郎ハイビスカスの花」
浅丘ルリ子 (旅回りのキャバレー歌手 リリー) 沖縄県、長野県(軽井沢)

第26作 1980/12  「〃 寅次郎かもめ歌」
伊藤蘭 (女子工員 すみれ) 北海道(奥尻島・江差町)、徳島県

第27作 1981/8   「〃 浪花の恋の寅次郎」
松坂慶子(芸者 ふみ) 大阪府、瀬戸内、対馬

第28作 1981/12  「〃 寅次郎紙風船」
音無美紀子(寅のテキヤ仲間の妻 光枝) 福岡県(秋月)、大分県(夜明)、静岡県(焼津市)

第29作 1982/8   「〃 寅次郎あじさいの恋」
いしだあゆみ(陶芸家の家政婦 かがり) 京都府(京都市、伊根)、信濃大町、鎌倉市、彦根市

第30作 1982/12  「〃 花も嵐も寅次郎」
田中裕子 (デパート勤務 蛍子) 大分県(湯平温泉、別府鉄輪温泉、湯布院)

第31作 1983/8   「〃 旅と女と寅次郎」
都はるみ (超大物演歌歌手 はるみ) 佐渡市、新潟市、北海道(支笏湖)

第32作 1983/12  「〃 口笛を吹く寅次郎」
竹下景子 (寺の娘 朋子) 岡山県(備中高梁)、広島県(因島)
画像

第33作 1984/8   「〃 夜霧にむせぶ寅次郎」
中原理恵(フーテンの理容師 風子) 岩手県(盛岡市)、北海道(釧路市、根室市、中標津町、養老牛温泉)

第34作 1984/12  「〃 寅次郎真実一路」
大原麗子 (主婦 ふじ子) 鹿児島県(枕崎市・指宿市)、茨城県(牛久沼)

第35作 1985/8   「〃 寅次郎恋愛塾」
樋口可南子 (写植オペレーター 若菜) 長崎県(上五島)、天草市、秋田県(鹿角市)

第36作 1985/12  「〃 柴又より愛をこめて」
栗原小巻(小学校の先生 真知子)  下田、式根島、浜名湖、会津若松市

第37作 1986/12  「〃 幸福の青い鳥」
志穂美悦子(旅館のコンパニオン 美保) 福岡県(筑豊)、萩市(山口県)

第38作 1987/8   「〃 知床慕情」
竹下景子(獣医の娘 りん子) 北海道(斜里町)

第39作 1987/12  「〃 寅次郎物語」
秋吉久美子(化粧品メーカーの美容部員 隆子) 奈良県(吉野)、和歌山県、三重県(志摩市、伊勢市二見町)

第40作 1988/12  「〃 寅次郎サラダ記念日」
三田佳子 (女医 真知子) 長野県(小諸市、松本市)、長崎県(島原市)

第41作 1989/8   「〃 寅次郎心の旅路」
竹下景子(ウィーンの日本人ガイド 久美子) オーストリア(ウィーン)、松島、石川県

第42作 1989/12  「〃 ぼくの伯父さん」
檀ふみ(泉の叔母 寿子)  佐賀県(佐賀市、古湯温泉、吉野ヶ里)、茨城県(袋田)

第43作 1990/12  「〃 寅次郎の休日」
後藤久美子 (高校生 泉) 大分県(日田市)、名古屋市

第44作 1991/12  「〃 寅次郎の告白」
吉田日出子(料理屋の女将 聖子)  鳥取県、岐阜(奥恵那峡・蛭川)

第45作 1992/12  「〃 寅次郎の青春」
風吹ジュン(理髪店経営 蝶子)  宮崎県(油津)、岐阜県(下呂温泉)

第46作 1993/12  「〃 寅次郎の縁談」
松坂慶子 (料理屋勤務 葉子) 香川県(琴平・志々島・高見島)、栃木県(烏山)

第47作 1994/12  「〃 拝啓車寅次郎様」
かたせ梨乃(アマチュアカメラマン・主婦 典子) 新潟県(上越市)、滋賀県(長浜)、鎌倉市、長崎県(雲仙)

第48作 1995/12  「〃 寅次郎紅の花」
浅丘ルリ子 (旅回りのキャバレー歌手 リリー) 鹿児島県(奄美大島)、岡山県(滝尾・津山)、神戸市


■渥美清  
1996年(平成8年)8月4日、転移性肺癌のため東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で68才でこの世を去りました。

「俺のやせ細った死に顔を他人に見せたくない。骨にしてから世間に知らせてほしい」という渥美の遺言により、家族だけで密葬が行われ、遺体は東京都荒川区内の町屋斎場で荼毘に付されました。
訃報は3日後の1996年8月7日に松竹から公表されました。

死後、日本政府から渥美に国民栄誉賞が贈られました。
俳優では、1984年に死去した長谷川一夫に次いで2人目の受賞でした。

「渥美清=寅さん」のイメージを壊さないため芸能界の関係者ともプライベートで交際することはほとんどなかったと言います。
奥さんと二人のお子さんも自宅がどこにあるのかも表に出しませんでした。タクシーで送られる際も「この辺りで」と言い、自宅から離れた場所で降りていました。

◇山田洋次監督の弔辞
 1996年(平成8年)8月13日、松竹大船撮影所で「寅さんのお別れの会」

5年前に渥美さんの病気を知り、予断を許さないのは知っていました。

体の衰えが目立ち始めて、小島の急な坂を登るときは、とてもつらそうだった。この時、この陽気な男が、映画から手を引く日も近いと思っていました。
そろそろ解放してあげたい、と思いながら、もう一作だけ、もう一作だけ、もう一作何とかと思って48作も撮ってきました。

医師から、正月遺作となった映画に出演できたのは、奇跡といわれました。ああ、悪いことをしました。後悔しています。つらい思いをさせてすいませんでした。
7月に入院して、肺の手術をした後、経過が思わしくなくて、ベッドに起き上がることも出来ず、うつむいたままと聞きました。
何故そんなに苦しめたのか。

27年間、映画を作る喜びを与えてくれてありがとう。スタッフも幸せでした。心からお礼を申し上げます。

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