太宰治「斜陽」昭和22年初版/23年3刷

太宰治「斜陽」昭和22年初版/23年3刷

 売切れ

太宰治「斜陽」昭和22年初版/23年3刷 1



 新潮社
 
どちらにも強いヤケ、小キズ・破れなどがあります。

 左:昭和22年12月15日発行初版¥9,000.
 右:昭和23年月2月28日3刷¥2,000.

昭和22年12月15日発行のこの初版が「斜陽」の本来の初版です。

この後、 太宰が愛人の山崎富栄と玉川上水の急流に入水心中した昭和23年6月の翌月に、初期、中期、後期の傑作「晩年」「女の決闘」「斜陽」が同じ新潮社から発行されました。

太宰治「斜陽」昭和22年初版/23年3刷 2

太宰治「斜陽」昭和22年初版/23年3刷 3
初版(定価70円)の発行部数は1万部。2、3版5,000部、4版(定価75円)は1万部と版を重ねベストセラーとなりました。

太宰治「斜陽」昭和22年初版/23年3刷 4
「斜陽」は。雑誌「新潮」の昭和22年7月~10月号に連載されました。

「斜陽」を書いた昭和22年(1947年)は太宰38歳でした。 

1月に太田静子の訪問を受け、翌月 2月に下曽我の大雄山荘に太田静子を訪ね、5日滞在します。
静子の日記を借りて、、田中英光が疎開していた伊豆の三津浜に行 き、「斜陽」起稿します。
  太田静子については最後尾をご覧ください。

3月上旬までかかって一、二章を書きあげました。
この月に、次女里子(佑子)が生まれました。そしてこの頃、三鷹駅前の屋台で山崎富栄と知り合いました。

4月、新たに借りた 三鷹の仕事部屋で『斜陽』を書き続け、六月に完成させました。

この年には体調を悪くするなどいろいろなことがありました。
11月には、太田静子との間に、治子が生まれました。
     詳しくは → 太宰治の年譜


太宰治「斜陽」昭和22年初版

太宰治「斜陽」昭和22年初版1
 :昭和22年12月15日発行初版 ¥9,000.

太宰治「斜陽」昭和22年初版2

太宰治「斜陽」昭和22年初版3

太宰治「斜陽」昭和22年初版4

太宰治「斜陽」昭和22年初版5

太宰治「斜陽」昭和22年初版6

太宰治「斜陽」昭和22年初版7

太宰治「斜陽」昭和22年初版8

太宰治「斜陽」昭和22年初版9

NO.DC20 B-132


太宰治「斜陽」昭和23年3刷

太宰治「斜陽」昭和23年3刷1
 昭和23年月2月28日3刷 ¥2,000.

太宰治「斜陽」昭和23年3刷2

太宰治「斜陽」昭和23年3刷3

太宰治「斜陽」昭和23年3刷4

太宰治「斜陽」昭和23年3刷5

太宰治「斜陽」昭和23年3刷6

太宰治「斜陽」昭和23年3刷7

NO.005 B-132


朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
 と幽(かす)かな叫び声をお挙げになった。
「髪の毛?」
 スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。
「いいえ」
 お母さまは、何事も無かったように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流し込み、・・・・・
  続き⇒斜陽全文

◇「斜陽」は、『新潮』に1947年7月から10月に連載された太宰治の代表作です。

太宰が当時交際していた太田静子の娘・太田治子は、母の日記がほとんどそのまま書き写されたものであると述べています。
没落していく上流階級の人々を指す「斜陽族」という言葉が生まれました。

太宰治の生家である記念館は、この小説の名をとり「斜陽館」と名付けられました。
記念館は、青森県五所川原市(旧北津軽郡金木町)にあります。

◇太田静子とは、
「斜陽」の主人公「かず子」のモデルです。
入水の前年(昭和22年)、妻子持ちの太宰は、文学を志す太田静子との間に生まれた娘に、「治」の一字を付けて認知しました。太田治子です。

静子は炊事婦や寮母などで働きづめで生計を立て、兄弟の支援も得て治子を育てました。そして治子も作家となりました。

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