土屋文明

土屋文明

土屋文明
(つちや・ぶんめい、1890(明治23)年9月18日~1990(平成2)年12月8日)
 祖父は「賭博で身を持ち崩した揚句、強盗の群に身を投じ、徒刑囚として北海道の監獄で牢死した」と本人が述べています。

 その せいで、一家に続けられる村人の指弾は、文明にとって耐えがたく、この前後数年間は、道で村人に逢うのも恐ろしかった」といいます。父の保太郎も村に居づ らかったのか、村を出入りして商売をしていました。

 幸い、伊藤左千夫や資産家などとの出会いがあり援助を受け東京帝大を卒業しました。
 文明にとって、生い立ちにより故郷は辛く悲しい場所でもあり、高崎中学を卒業し上京して以来、数えるほどしか、 故郷の土を踏みませんでした。

  道の上の古里人に恐れむや
  老いて行く我を人かへりみず
 文明が61歳のときの歌です。幼い日のときのように古里人に恐れを抱いています。

 また、こんな歌も残しています。
  青葉立つ榛名の山の山陰に
  吾が故里(ふるさと)をへだてて住まん
   文明の故郷への思いが詠まれています。(歌集山下水 昭和21年発行)

土屋文歌碑
群馬町が建立した歌碑

 生前、自身の歌碑を許さなかった文明が、唯一認めた写真の歌碑は、死の直前の平成2年9月5日に除幕されました。
 歌碑は、土屋文明記念文学館の敷地内にあります。文明は、群馬町の名誉町民になったことを最も喜びました。100歳の生涯の中でその心に思い続けたのは、榛名山でした。

  青き上に榛名を永久(とは)の幻(まぼろし)に
  出でて帰らぬ我のみにあらじ

 *土屋文明の第九歌集『青南集(せいなんしゅう)』(1967(昭和42)年11月25日白玉書房発行)の中に納められている歌です。
 地図を見て自分のふるさとを思っています。

          ⇒ 土屋文明歌集『往還集』『山谷集』

a:256 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional