ペン先の歴史

ペン先の歴史

つけペン・ペン先の由来
筆記具の誕生は今から5万年ほど前、旧石器時代後半にさかのぼります。約8千年前には骨や角で作った棒状筆記具の原型“スタイラス”が用いられ、粘度の板にキズをつけて文字や記号を記録するようになりました。その後、古代エジプトでは“パピルス”という紙の元祖が発明され、葦の茎や羽で作ったペンにインキを使って書かれるようになったのです。

ペン先は約4千年前、フエニキヤやアツシリアなどの国々でも骨や葦、萩葦竹の茎を尖らせたものが使われており、地中海沿岸の国々では甘蔗ペン、竹ペン、針先ペン、羽ペンなども使用されていました。羽ペンはギリシャで使われはじめたものが徐々に改良され、5~6世紀には一般化していたようです。ほとんどの羽ペンに鷲鳥の羽が用いられるようになった頃には尖端に切れ目があり、羽ペンがローマ時代の青銅ペンや、現在使われている鋼鉄ペンのルーツであったことがわかります。

ペン先の由来
金属ペンは18世紀の中頃、フランスとイギリスで作られましたが、いずれも欠点が多く普及しませんでした。イギリスではその後、両者をヒントに完全な鋼鉄ペンが作られたのですが、価格が非常に高く一般向きではなかったのです。こうした点を克服すべく、今度は機械設備のもとに大量生産を展開。1820年から1830年以降にかけて隆盛を極め、鋼鉄ペンは最も重宝で実用性の高い記録用として、広く一般に使用されることになりました。

国産ペン先の歴史
鋼鉄ペン先はイギリスで量産が開始され、日本に入ってきたのは1871年(明治4年)でした。
渡来してから20数年間は、日本ではほとんど製造できなく輸入品を使用していました。

国産のペン先は、故石川徳松氏が、製造技術や材料・機械などなどすべてが不明の中で苦心研究し、1897年(明治30年)4月から製造販売を開始しました。石川ペン製作所(現ゼブラ株式会社 1963年社名変更)です。

1908年(明治41年)の太政官通達で鋼ペンとインクの正式仕様が認められ、毛筆と墨で記録する時代から鋼ペンとインクの時代と移っていきます。

戦後、生産量は拡大し、昭和25年には最盛期を迎え、ペン先メーカーは18社を超えるほどでした。帳簿用として愛用されてきたペン先ですが、ボールペンの普及とコンピューター化により、その後は徐々に需要は減少。しかし、ペン先の需要はゼロにはなりませんでした。

近年はマンガ用として、マンガ家にとって、なくてはならない筆記具となっています。

そのマンガは、日本国内だけでなく、東南アジアやヨーロッパ、アメリカなど、世界中に広がり、ペン先への評価が再び高まっています。

また、パソコンとプリンターの時代となりましたが、手書きのよさが見直されて愛好者が増えてきています。
    ⇒ペン先の歴史、材料・製造工程


国産の時代に
明治30年、石川徳松氏が、英国のペン先既製品を参考に、独力で製法を研究開発し、はじめて国産のペン先を作り出しました。
明治35年には、「アンソン・イリス」という商品名で発売します。
大正3(1914)年に、商標を「ゼブラ」にして今日にいたります。
ゼブラのペン先には「T.ISHIKAWA」と名が刻まれています。

その後、日光ペンが大正2(1913)年、丸山ペンが大正13(1924)年に創業。
続いて、タチカワペン、ミカドペン、エレガントペン、ライオンペンなどが相次いで誕生。さらにその後呉に二、三のペン先製造者が現れ国産ペン先は次第に拡大した。
品質の改良と量産体制が進み輸入ペン先を駆逐するまでになった。戦後一時輸入ペン先の出現があったがすぐに輸入品を必要としない時代になった。
  出典:日本鋼ペン先工業組合発行『ペン先のあゆみ』
     ペン先の秘密


戦中戦後 価格統制時代

日本鋼ペン先工業組合 平成8年7月 発行『ペン先のあゆみ』より
ペン先の歴史 戦中戦後 価格統制時代1

ペン先り歴史 戦中戦後 価格統制時代2

アンダーライン(赤線)部分の要約
昭和16年春、工業組合による自治統制とすることになり、製造できる品種はGペン、サジペン、日本字ペン、スクールペン5号と製図用丸ペン又は丸ペン代用のみと決定。
昭和14年9月に始まったペン先の統制価格は昭和25年8月に統制廃止となるまでに6,7回の改訂が行われ、この間に1本3銭が1円30銭までに値上がりした。

ペン先の歴史戦中戦後 価格統制時代3



昭和25(1950)年当時のメーカー  25社

昭和25年ペン先メーカー
 日本鋼ペン先工業組合 平成8年7月 発行『ペン先のあゆみ』より

ペン先の製造・販売会社 昭和28年

ペン先製造会社と商標  21社27商標(ブランド)
   昭和28年8月現在
ペン先製造品
昭和時代になると国内のペン先生産の技術が向上し、生産高が年々増加しました。戦時中も生産は続き、戦後の物質不足で一時生産高は減少しますが、2、3年で復活しました。その後昭和45(1970)年ころまでは年間100万グロスを越える生産高でした。
日本鋼ペン先工業組合 平成8年7月 発行『ペン先のあゆみ』より

ペン先の商標と発売店・製造者  
   昭和28年8月現在 
  ペン先発売品


    東京丸善から発売されたオリオンペン
  オリオンペン
   製造メーカーは立川ペンでした。

現在発売されている日本のペン先ブランドは、タチカワ、日光、ゼブラの3種類です。
日光ブランドはタチカワが継承しましたので、製造メーカーはタチカワとゼブラ社の2社だけとなっています。
  日本鋼ペン先工業組合 平成8年7月 発行『ペン先のあゆみ』より

ゼブラの代表的なペン先だったタマペン(かぶらペン)は2021年に製造中止となりました。これから先ペン先の生産は縮小していくことになると思われます。

現在販売されているゼブラのペン先ホームページ 

現在販売されているタチカワのペン先ホームページ 

日光(NIKKO)ブランド
東洋精鋼株式会社のペン先ブランドです。昭和39年(1964年)に日光ペンに社名変更されました。
その後、平成3年(1991年)に日光ペン株式会杜の日光ペン事業部は廃業となりNIKKOブランドはタチカワ製作所に引き継がれました。

ペン先JIS(日本工業規格)制定

 昭和29年10月30日
鋼ペン先JIS(日本工業規格)制定
 日本鋼ペン先工業組合 平成8年7月 発行『ペン先のあゆみ』より

      ⇒ 日本工業規格 JIS 鋼ペン先 S6008 全文

ペン先のJIS規格「S6008 鋼ペン先」は昭和62(1987)年7月1日に廃止されました。(JISC 日本工業標準調査会のデータベース)
日本鋼ペン先工業組合 平成8年7月 発行『ペン先のあゆみ』には、昭和60年11月に廃止と記載されています。

 

昭和30~40年ころのペン先の包装箱

タチカワ
昭和30~40年ころのペン先の包装箱

ペン先の種類・価格推移

平成8年7月 日本鋼ペン先工業組合発行『ペン先のあゆみ』より

ペン先の分類

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旧JIS規格によるペン先の種類

ペン先の種類

イギリス産を模倣していた時代だけでも数十種類もありましたが、その後はさらに特殊な形状のものが考案され、近年では数百種類を数えるほどになると言われています。

目的に応じた選び方が肝心です。
筆圧により繊細な表現ができますので、漫画やカリグラフィー(アルファベットによるペンの書道)の世界を中心に使用されています。

◇ゼブラタマペン(かぶらペン)
 ゼブラタマペン(かぶらペン)の製造販売は中止となりました。
  (2021年製造中止、2022年3月出荷中止)
  ゼブラのかぶらペン
  *通称かぶらペンは、
   サジペン(ニッコー)、スプーンペン(タチカワ)として今でも販売されています。
   ※ブランドによって名称が異なっています。

漫画家にとってのペン先

山形で執筆している漫画家のTさんからまとめてたくさんお買上げいただきました。
礼状です ⇓

今回は本当にありがとうございました。
これで私はまた向こう10年以上戦えます(笑)。
いや、でもペン先自体が全て絶版になったら「即廃業」になりかねないのであながち冗談でもないのです。。。

      ⇒ 漫画家にとってのペン先の大切さ


現在のペン先メーカーと種類別の特徴

現在の日本のペン先ブランドは、タチカワ、日光、ゼブラの3種類です。日光はタチカワで製造していますので、実際には、タチカワとゼブラ社の2社だけとなってしまいました。

ベン先価格の推移

ベン先の価格は原則1グロスです。ベン先価格の推移



◇タチカワペン先の歴史
◇ゼブラの歩み
◇日光ペン創業者:門馬将直
◇日光ペンのその後:門馬久直

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