「男はつらいよ」第19作 特大スチル写真 A97

「男はつらいよ」第19作 特大スチル写真 A97

「男はつらいよ」第19作 特大スチル写真 A97-1

 1,600円
男はつらいよ
 特大サイズ:写真全紙
  (457×560ミリ/18×22インチ)

「男はつらいよ」第19作 特大スチル写真 A97-2
 透明のビニルに包んで保護してあります。写真右上の波打っているしわは透明ビニルです。

第19作 男はつらいよ 『寅次郎と殿様 』(昭和52(19727)年78月 公開)

 マドンナを演じた女優と役柄:真野響子 (運送会社勤務 鞠子)
 ロケ地: 愛媛県(大洲市)

旅先の寅さんは、伊予の国大洲で、わけありの若い女性・鞠子(真野響子)に親切にします。その後、大洲の城跡で浮世離れした老人と知り合いますが、その老人こそ、世が世なら伊予の殿様・藤堂久宗(嵐寛壽郎)でした。饗応を受けた寅さんは、殿様の「次男の未亡人に一目会いたい」という願いを安請け合い。しばらくして殿様は、とらやに「寅次郎君はおりますか」とやってきましたが…

 サイレント映画時代から昭和二十年代にかけて時代劇のヒーロー“鞍馬天狗”を演じ続けた剣劇スター・嵐寛寿郎をゲストに迎え、渥美清と珍妙かつ絶妙なやりとりを繰り広げます。寅さんが大洲の旅館で出会う、美しきマドンナ鞠子に真野響子。殿様の侍従を演じた三木のり平のおかしさは、まさしくベテラン喜劇人ならではの味。夫に先立たれ、その想い出を胸に、懸命に働きながら、幸せを求めるヒロイン。殿様をめぐるエピソードの微笑ましさの中に、父と息子の嫁の、血が繋がらないがゆえの心の交流の美しさが繰り広げられていく来ます。

「男はつらいよ」第19作 特大スチル写真 A97-3
 上部中央に3センチほどの亀裂があり、そこにもピン穴があります。
  右下のペットボトルは大きさの参考です。

「男はつらいよ」第19作 特大スチル写真 A97-4 「男はつらいよ」第19作 特大スチル写真 A97-5
 分かりにくいですが、四隅にピン穴があります。ヤケ、汚れ、しわや小傷があります。

「男はつらいよ」第19作 特大スチル写真 A97-6 「男はつらいよ」第19作 特大スチル写真 A97-7

「男はつらいよ」第19作 特大スチル写真 A97-8

寅さんの啖呵売

さて、東京の皆さん、お嬢ちゃん、お坊ちゃん、こんにちは、長い間どうもお世話様になりました。私、この度、故ありまして、四国の田舎に引っ込むことになりました。長い間のご愛顧に、お応えいたしまして、本日はメチャクチャの大安売り、儲けはいらない。帰りの電車賃だけいただければ、それで結構、ね、お嬢ちゃん、手にとって見て頂戴・・・(東京都江戸川区南小岩・キャバレーホンコン脇・ぬいぐるみ)

映画『男はつらいよ』はお正月映画の定番でした。
寅さんこと渥美清さんは1996年8月4日に転移性肺がんのため亡くなりました。68才でした。

男はつらいよ
◇渥美清主演、山田洋次原作・監督(一部作品除く)のテレビドラマと映画。
・テキ屋稼業の「フーテンの寅」こと車寅次郎。
 何かの拍子に故郷の葛飾柴又に戻ってきては騒動を起こす人情喜劇シリーズです。
・毎回旅先で出会った「マドンナ」に惚れますが、失恋するか身を引くかです。
・風景が美しい日本各地がロケ地になっています。
 42作以降は病魔と闘いながらの凄絶なロケだったそうです。

■渥美清  
1996年(平成8年)8月4日、転移性肺癌のため東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で68才でこの世を去りました。

「俺のやせ細った死に顔を他人に見せたくない。骨にしてから世間に知らせてほしい」という渥美の遺言により、家族だけで密葬が行われ、遺体は東京都荒川区内の町屋斎場で荼毘に付されました。
訃報は3日後の1996年8月7日に松竹から公表されました。

死後、日本政府から渥美に国民栄誉賞が贈られました。
俳優では、1984年に死去した長谷川一夫に次いで2人目の受賞でした。

「渥美清=寅さん」のイメージを壊さないため芸能界の関係者ともプライベートで交際することはほとんどなかったと言います。
奥さんと二人のお子さんも自宅がどこにあるのかも表に出しませんでした。タクシーで送られる際も「この辺りで」と言い、自宅から離れた場所で降りていました。

◇山田洋次監督の弔辞
 1996年(平成8年)8月13日、松竹大船撮影所で「寅さんのお別れの会」

5年前に渥美さんの病気を知り、予断を許さないのは知っていました。

体の衰えが目立ち始めて、小島の急な坂を登るときは、とてもつらそうだった。この時、この陽気な男が、映画から手を引く日も近いと思っていました。
そろそろ解放してあげたい、と思いながら、もう一作だけ、もう一作だけ、もう一作何とかと思って48作も撮ってきました。

医師から、正月遺作となった映画に出演できたのは、奇跡といわれました。ああ、悪いことをしました。後悔しています。つらい思いをさせてすいませんでした。
7月に入院して、肺の手術をした後、経過が思わしくなくて、ベッドに起き上がることも出来ず、うつむいたままと聞きました。
何故そんなに苦しめたのか。

27年間、映画を作る喜びを与えてくれてありがとう。スタッフも幸せでした。心からお礼を申し上げます。

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onacab 1907

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