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わが家の庭の矢ぐるま草の花です

わが家の庭の矢ぐるま草の花1 2017.5.7
 この花を見るたびに啄木のこの歌を思い出します。
  函館の青柳町こそかなしけれ
  友の恋歌
  矢ぐるまの花  歌集『一握の砂』より

啄木が函館に職を探しに来て滞在したのは明治40年5月から8月までの半年ほどだったそうですが、啄木はこの街を気に入り多くの歌を残しました。

わが家の庭の矢ぐるま草の花2

わが家の庭の矢ぐるま草の花3
ヤグルマソウ(矢車草)と呼ばれるものには、もう一つはユキニシタ科の多年草がありますので、区別するためにヤグルマギクとも呼ばれています。啄木が詠んだのはこの花に間違いないと思います。
矢ぐるまの花は、函館では6月から7,8月にかけて咲くそうです。

家の周囲に矢車の花が咲き、友と文学や恋愛について語り合い、歌を詠みました。「かなしけれ」というのは、かなしい思い出があったということですが、私はかなしいときのように涙がでくるほど青柳町時代がとても懐かしいという意味に受けとめたいと思います。
そして、友の恋歌とはどんな歌だったのでしょうか。

この歌の初出は、「スバル」明治43年11月号です。このとき啄木は23歳でした。函館の青柳町に滞在したのは2年前の明治40年啄木21歳のときです。
啄木は、明治45年(1912年)満26歳で東京でなくなりますが、多感な青春時代に若者の心に響くたくさんの歌を詠みました。

啄木の最後をみとったのは、妻節子(妊娠8カ月)、父一禎と友人の若山牧水でした。

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